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(1)冗談はわからないが一緒に笑う(バンクロフト基金生の記録)

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このブログは1996年に発行された小冊子に基ずいた内容に近況を加えたものである  まえがき 一人息子の淳一郎が、高校卒業と同時にアメリカの大学に留学したのは、1977年8月であった。彼はバンクロフト奨学基金(*下記注)の留学生としてアメリカで四年間勉強することになった。留学先は、イリノイ州のゲールズバーグという小都市にあるノックス大学。この大学は奨学基金の創始者バンクロフト駐日大使の母校である。この冊子は、その四年間の親子の間に交わされた手紙の一端である。 親子の間に交わされた手紙は、第三者には面白くもおかしくもない、退屈な読み物に違いない。その上、私信を冊子等にまとめることは、人様の私事に触れることが多分にあるので、なかなか実現できなかった。いろいろ考えている間にとうとう二十年近く経過してしまったのである。 しかし退職後退屈しのぎに色褪せた手紙を読み直しているうちに、これは我が家にとっては貴重な財産ではないかと気付いた。記録として残しておく価値があるのではないかと考え、人様に失礼のないよう十分に配慮することを第一にして発行することにした。 そこで習い始めたワープロで私が入力することにした。一日二ページをノルマとしたが、入力だけで約半年を要したことになる。白内障手術後の目には良くなかったかもしれない。 (1996年4月22日 足立五郎) 注:バンクロフト基金は後日グルー基金と統一され現在は グルーバンクロフト基金 として運営。

(2)バンクロフト奨学基金とは(現在グルーバンクロフト基金)

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大正十三年から十四年にかけて、バンクロフト大使が東京に駐在されていた頃は、丁度移民問題に絡んで日米間の関係がかなり不穏な状態にあったため、これを憂えた金子堅太郎、牧野伸顕、壇琢磨、樺山愛輔の諸氏とバンクロフト大使との間にしばしば非公式の会合が持たれた。その際、参加者一同の一致した結論は、日米両国の親善のためには、それに貢献された前記の諸氏の後を継いで、その重要な役割を果たし得る人材の育成が急務であるということであった。 特にバンクロフト大使は、この問題について深く考慮され、自ら三百万ドルを募って、日本学生をアメリカの大学に留学させる計画を立てられたが、これが図らずも当時の極端な一部の国粋論者の知るところとなり、米国人の寄付金で日本留学生の留学の資に充てることの非を鳴らしてこれを排撃したため、止むなくこのことは一時中止となった。 その後、まもなくバンクロフト大使は病を得て日本在任中に永眠されたが、その遺言書の中に遺産の一部を日本学生のために充てたいと認めてあったため、大使の令甥であるエルブリッジ・バンクロフト・ピアス氏より樺山氏充て昭和二年六月十二日の書簡で次のような申し出があった。 「大使の令弟フレデリック・バンクロフト博士及び令妹の、ミセス・ウイルソン・エーチ・ピアスは大使の遺志を尊重して十五万ドルを奨学資金として寄贈したいこと、内十万ドルは直ちに日本に送り、財団を組織し、五万ドルは米国に残し、大使夫人の令妹ミス・フランシース・ヒーリーの存命中その利子を同女史に提供し、死後はこれを財団に寄付したい。」ということであった。 そこで樺山氏は新渡戸稲造、大久保利武、米山檜吉、団琢磨、姉崎正治、浅野良三、坂井徳太郎、森村市左衛門、小松隆、高木八尺の諸氏と相談の結果、バンクロフト大使の遺族から送られてきた十万ドル(当時の邦貨二十二万円)をもって財団法人バンクロフト奨学基金を設立、昭和三年十二月二十八日その許可を得て直ちに留学生の選考に着手した。 こうして大使の遺志は実行に移され、七名の留学生が派遣された。しかし第二次大戦のため一時中止の止む無きに至り、また戦後は円貨の暴落により復活は全く不可能になり昭和二十八年まで中絶のまま推移した。 ところが、前記ミス・ヒーリーが逝去のため、当初の約束どおり、残された前記五万ドルの清算金四万七千ドル余が昭和二十八年四月寄贈され...

(3)1977年 8月5日 英語の心配なし アメリカからの第一信(淳一郎)

1977年(昭和52年)8月5日 元気でやっています。無事ニューヨークに着きました。ご心配なく。グルーの先輩の岩本さんや、緒方国連大使に会いました。ニューヨークも今日で四日目です。慣れてくると、なかなか面白いところです。英語の心配も、日常生活では全然ありません。四年もたてば、日本語がしゃべれなくなるというのは本当のようです。毎日新しいことが覚えられて楽しい生活です。明後日、8月7日ニューヨークを発ってブラウン大学に行きます。 *岩本汎氏。元NHKニューヨーク特派員。

(4)1977年8月13日 体力回復に励む(淳一郎)

8月13日 英語の勉強もさることながら、体力の回復を図らなくてはと頑張っています。毎日水泳、ランニング、サッカー、ビリヤードなどして慌しく暮らしています。来週から乗馬のレッスンをすることにしました。 ロードアイランド州も、日本と同じように暑い日が続いています。風がないのでまいってしまいます。しかし、環境はすばらしい所です。どうも変な日本語になってしまいました。では。

(5)1977年8月13日(五郎)

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(見送りの学友に囲まれて 羽田空港) アメリカの第一印象やいかに。 国際文化会館の加藤さんから電話。二人とも無事にニューヨークに着いたこと。緒方貞子国連領事や岩本先輩にお会いしたことを知らせてくださった。新聞報道によると、ニューヨークは、あまり暑くないとのこと。これは何より。母さんは、「岩本特派員発、又もニューヨークで通行人が殺される」というニュースを聞くたびに、「早くニューヨークから離れてくれないかなあ」と。全く同感。 ところで、羽田まで見送りに来てくれた友達の名前を知らせて欲しい。礼状と出しておきたい。はがきは既に印刷済み。 8月2日、羽田から帰宅して淳一郎が今まで使っていた部屋を整理した。当分この部屋を私の書斎にすることにした。今、その部屋でこの手紙を書いている。書棚を見て改めて淳一郎の読書量に驚嘆しているところだ。一日一冊がノルマとは聞いていたが随分読んだものだ。これからは、英語の本を今まで以上に読まなくてはならないね。大変なことだが、自ら選んだ道だ。体に気をつけて頑張ってもらいたい。 こんなことを書いていたら、母さんが書くスペースがなくなってしまった。

(6)1977年8月18日 アメリカでは馬も英語 (淳一郎)

ニューヨークに居たときは、さほど英語の障害を感じなかったけれど、ブラウンに来て改めて英語力の不足を感じています。ここにも日本人はかなりいます。ルームメイトも日本人なので、部屋に帰ってくると、つい日本語をしゃべってしまいます。フランス人やスペイン人も来ていますが、僕らのクラスにいる人はみんなインテリで、会話の時間になるとすぐに政治や経済の話になってしまいます。「又始まった」と思いながらも何も言うことが出来ない自分が惨めです。話すことが無ければ、話しようがないですからね。 この間初めて馬に乗りました。アメリカでは、馬も英語を話します。渡辺君を覚えていますか。彼の友達がブラウンにいて、よく面倒をみてくれます。今度三年生になる人ですが、グルーの先輩の岡本さんのクラスメイトだそうです。その彼が、乗馬のレッスンを取っているので、石田さんと一緒に入れてもらいました。まだ、これから五回レッスンが残っています。楽しみです。 週三回サッカーをやっています。大男ばかりですが、たいしてうまくありません。練習時間になるとどこからか集まってきて、終わるとどこかへ行ってしまいます。 この間は二時間続けて練習しました。芝生の上での練習は気持ちの良いものです。汗をかいた後はプールで泳いだり、ビリヤードをやったりしています。こんなことをしていられるのも今のうちだけです。9月早々、いよいよKNOXに行きます。 勉強のことを考えると、どうなることかと今から心配です。 あ、そうそう、見送りに来てくれた人は、全員翠嵐高校生です。宮川雅生・小峰雅・山田・手塚文彦・佐々木直彦・藤田秀治・小尾勝俊・鎌田茂・斉藤譲・小川・鮫島・根元。後は忘れました。 ブラウンはもう秋の気配です。ここに来たときは本当に暑かったけれど、この間雨が降ってからは、8月とは思えないほど涼しくなりました。よく雨が降るし雷もなります。昨日などは、長袖を着ていました。日本の八月を思うと信じられません。 日本のニュースは全然伝わってきません。別に知りたいとは思いませんが、どこかの火山が爆発したらしいこと以外は。 本当に手紙を書くのは時間がかかります。では又。 *1ブラウン大学のこと。その年の各国からの留学生が、この大学で約一ヶ月語学の習得をしたらしい。 *2渡辺信一氏。留学生の二年先輩。ブラウン大学に留学中。 *3石田江里子氏。同期...

(7)1977年8月23日 (恵子)

昨晩、淳ちゃんの夢を見ました。夢の中で、今アメリカへ行っているんだよ、と言いながら青葉台の家に居るんですから変ですね、というところで目が覚めました。 ニューヨークからの絵はがきが届きました。ほっとしているところです。体の方はどうですか。疲れがでる頃と思います。気をつけてください。 こちらは、このところ15日ぐらい雨が続き、暑さも峠を越えて夜は暑い布団を出して寝ています。とてもプールどころではありません。作物の成育が心配です。我が家のトマトも青いままなかなか色ついてくれません。関東地方はこんな天候ですが、高校野球をしている関西地方は、良い天気が続いています。昨日決勝戦があった東洋大姫路高校が優勝しました。神奈川県の東海高校は、一回戦で敗退しました。 淳ちゃんの部屋を掃除していたら、三井銀行の古い預金通帳が出てきました。72年が最後になっているので、小学校から中学校時代に使っていたものと思います。覚えていますか。全額払い戻しておきました。何か買って送りましょう。ゲバはとても元気で三度三度食事をしているようです。食事といえばそちらの食事はどうですか。 脂っこいのではないでしょうか。野菜不足にならないように気をつけてください。洗濯はどうしていますか。送って欲しいものがあったら知らせてください。 落ち着いたら、できるだけ早く銀行に口座を作って知らせてください。急にお金が必要になっても直ぐには送れませんからね。 今夜の12時です。そちらは何時かしら。時差というのは本当に面倒です。くれぐれも体に気をつけて。またお便りします。

(8)1977年9月3日 ノックス大学到着 (淳一郎)

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昨日、ノックスに着きました。羽根先生が、空港まで出迎えてくださいました。空港といっても、我が家より小さいターミナルです。シカゴからは、十人乗りのプロペラ機でした。それしか便がないのです。下を見ると、一面のとうもろこし畑、川も無ければ森もありません。ただ、まったいらな土地です。ここで、これから四年間暮らすのかと思ったら、感動して笑い出してしまいました。 大学のあるゲールズバーグはきれいな町です。本当に静かな町です。僕はすぐに寮に入りましたが、今この建物に居るのは僕だけです。すぐうるさくなるそうですが。嵐の前の静けさを一人で楽しんでいます。ノックスの先輩の河崎さんももうここに来てました。髭ぼうぼうの英語の上手な人です。今日はウイークエンドです。それで、事務員には会えませんが、郵便が前住所の三軒茶屋に回ったようです。 学校が始まるまで後5日、しばらくごたごたすることでしょう。羽根先生は、会話は英語ですが、日本語の読み書きは僕以上でしょう。お父さんの手紙とお土産を届けました。大変喜んでくださいました。お嬢さんが僕と同じく1年に入学します。 ブラウン大学での四週間は、英語の勉強というよりは、アメリカに慣れるということでした。ブラウンの学生でグルーの先輩の岡本さんに会いました。彼は、7月30日に郷里三重県から帰って来て、早速僕を訪ねてくれました。最後の晩は、彼の友達2人と僕たち5人で寿司を作って食べました。かつお一尾とタイ5尾を切れない包丁でおろして握り寿司や巻き寿司にして食べました。残りは、醤油で甘辛く煮て食べました。魚のおろし方を習ってくれば良かったと思いました。今度、加藤さんに会ったら今後の留学生には、渡米前に料理の講習も必要だとお伝えください。 ところで、日本のニュースが全然分かりません。少しは知りたいので、朝日新聞の縮刷版を送ってくれませんか。ホームランの世界新記録を作ったことは、ラジオはテレビで報道しています。 銀行口座Saving No.14653-0 Junichiro Adachi First Galesburg National Bank 僕の住所 170 Knox College Galesburg, IL 61401 *1羽根幹三先生。日系アメリカ人。ノックス大学歴史学の教授。 *2加藤幹雄氏のこと。国際文化会館専務理事。

(9)1977年9月7日 (五郎)

いよいよ9月、無事大学に着いたことと思う。どんなところかな。いろいろと想像してみるのだが、所詮無理なこと。地図だけではとてもイメージは浮かんで来ない。今回は、用件のみ。 *8月5日に大学から書類が来た。調査書だったので分かるところだけ書いて返送。後で目を通しておくように。 *同封の書類が来たので送ることにした。必要事項は、メモしておいた。 *カメラの電池がなくなると、使用できなくなる。アメリカには、その電池がないそうだから、こちらから送ることにする。 こちらの近況 *王選手が、ホームランの世界新記録を樹立した。そちらでも報道されていると思う。 カーター大統領からもお祝いのメッセージが届いたそうな。 *北海道の有珠山が大爆発、新昭和新山が出来るのではないかと報道されている。 *関東地方は、8月6日から22日間連続の雨降り。(これは新記録)毎日低温続きだったが、今日、やっと三十度を越した。夏はやっぱり暑いほうがいい。 *今日、田中美智子さんから電話。羽根先生にお会いしたそうだ。足立君のことよろしくお願いしてくださった由。私からは、今日あたり、羽根先生をお訪ねしたのではないだろうかと伝えておいた。 ではまた。 *1先輩留学生。ノックス大学OB。

(10)1977年9月11日 サッカーチームに入部 (淳一郎)

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明日からクラスが始まります。サッカーのチームに入って毎日練習しています。そうでもしないとなかなか友達が出来そうにもなかったからです。毎日午前と午後の2回練習していますが、そんなにきつくはありません。日本の感覚でいくと、だらだらしているといった感じです。練習中にみんなが言う冗談は、ほとんど分かりません。友達の名がすぐに出てこないので、なかなかボールに触れません。そういう鬱憤を晴らすためにボールを蹴っています。 食事は立派です。ブラウンより格段とおいしいです。朝昼晩、その後又何か食べるというふうで、出発前の倍くらいは食べています。お陰で体の調子は良好です。 お金は今、400ドルあるので大丈夫です。もっと使うだろうと思っていましたが使う時間がありません。クラスが始まればもっと忙しくなるでしょうから、お金のことは心配しないで下さい。 英語と数学と社会学のクラスを取りました。マレーシアからたくさんの学生が来ていますので、彼らと一緒に留学生向けのクラスです。冬休みは、11月末から4週間あります。クラスを取るか、校内のアルバイトを見つけて寮に残るか、どちらかになると思います。サッカーの練習は、シーズン中(秋だけ)しかありません。後は自由になります。ノックスの環境は本当にすばらしい所です。施設が良いことは勿論ですが環境が最高です。天の川がよく見えます。リスがいっぱい走っています。毎日、手紙が来ていないかと見に行くのが楽しみです。先日は、なんとノックス大学からの手紙が三通。三ヶ月以上も前の日付けです。三軒茶屋の方に回ったようです。 ところで荷物はまだ届きません。朝晩は本当に寒いぐらいです。アメリカの学生はなかなかの衣装持ちです。ルームメイトも戸棚一杯持っています。彼は、ステレオ・テレビ・タイプライター・冷蔵庫などを持っているので何かと便利です。貸してくれます。夜はうるさくて困ります。みんなステレオ持ち込んでがんがん鳴らします。 ソニーのラジオカセットもまだ連絡がありません。シカゴまでは飛行機で70ドルかかります。シカゴから来ている学生が多いので、シカゴのことはいろいろ教えてくれます。ご心配無用です。しかし、ここに来るときは、シカゴ空港で迷ってしまいました。シカゴ空港の職員に尋ねても知らないというのですから、呆れてしまいました。それほど空港が大きいということでしょうか。それ...

(11)1977年9月14日 (五郎)

8月11日付けの手紙が続いて届いた。ブラウン大学では寿司を作ったとか、いったいどんな寿司が出来たのかと、お母さんと話し合った。まさか、アメリカまで行って、寿司を握ったとはね。日本では何もしなかったのに。加藤さんには魚料理の実習の大切と伝えておきます。 ノックス大学やゲールズバーグの町の様子がだんだん分かってきた。と思ったら、急に涼しくなってきた。衣類が足りないのではないかと、お母さんが心配している。足りないものがあれば買うだろうから心配無用と思うのだが、これが母心というものだ。今日、送金手続きしたところ、そちらの銀行の支店名がはっきりしないので、送金不能と言われた。仕方なく、今回は小切手で送る。もう一度、銀行名・口座番号を知らせてもらいたい。小包みやカセット等がまだ着いていないとのこと、びっくり。「現代用語の基礎知識・新聞の縮刷版」も送ったが、これもまた時間が掛かることだろう。これからは航空便とする。少しは早いだろう。ノックスからの手紙は早く着く。11日に投函したものが16日に到着。ニューヨーク等東海岸からは、10日も掛かっているのに。どちらが遠いのか、どちらが都会なのか分からないな。 アメリカの学生の真似をすることはないが、必要なものは遠慮なく購入すること。そのための必要な金は要求すること。田中くんからカセットをもらったので、次の航空便で送ることにする。 ではまたご自愛されたし。 *1中学校時代の同級生

(12)1977年9月16日 名前を覚えるのが大変(淳一郎)

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英語に飽きたので、手紙を書きます。今図書館にいます。毎日、クラス以外の時間はほとんど図書館にいます。クラスが始まってまだ3日ですが、まあ、なんとかやっています。数学と英語、それに人類学(聴講)を取りました。数学は今のところ高校で習ったところなのでついていけますが、おそらく進むのが早いので、予習復習が大変でしょう。英語は作文が主です。マレーシアの学生と一緒です。彼らは英語で教育をうけてきたそうです。それにしては、英語は下手です。 人類学のクラスは大変興味があります。今は、サルがどうして人間になったなんてところをやっています。教授が若く、セイロンに二年間単身で滞在したそうです。クラスが終わってから、KJ法で作った図解を見せながら質問したら、大変興味を示してくれました。これから、この教授のところに入り浸ることでしょう。 毎日、サッカーの練習があります。今度の土曜日の試合からレギュラーで出場出来そうです。バスで三時間以上もかかる遠くの大学まで行きます。旅行が出来るのが楽しみですが疲れることでしょう。 この間、練習試合で目の上におおきなたんこぶを作りました。例のごとく頭と頭がぶつかりました。ひどく腫れて、翌朝目が赤くなったので病院に行きました。頼みもしないのにレントゲン写真まで撮りましたが、異常の無いことが分かったのでほっとしました。一時は目が開かないほどでしたが、今はもう治ったのでサッカーをやっています。ノックスの学生は近くの病院でただで治療が受けられます。 荷物はまだ届きません。カセットも何も連絡がありません。不自由しているわけではありませんが、気がかりです。 ノックス大学の長所は、環境・施設のよさだけではありません。学生数の少ないことが最高でしょう。この特長を大いに活用しようと思います。クラスの後は、教授の部屋に行って話し合うことが出来ます。教授は時間を割いて学生の質問に答えてくれます。日本のような大きな大学(アメリカでも)では、教授は忙しすぎて時間が無いようです。ブラウン大学でもその傾向があると聞きました。本当に小さい大学でよかった。一年たつと、ほとんどみんなの顔を覚えられると先輩は言っています。 先日、僕にははじめてのPumphandleという楽しい学内行事がありました。教授や上級生の前を新入生が一列で通ります。一人ひとり、HiHiと言って握手します。僕はJunと...

(13)1977年9月17日 (五郎)

田中君から依頼されたカセットを同封。ラジオカセットは未だか。この手紙が着く頃は届いていると思うが、小包みがこんなに掛かるとは思わなかった。これからは方法を変えなくてはなるまい。 送金小切手は、20日ごろできる予定。今月中には届くだろう。冬の衣類はどうしたか、お母さんが相変わらず心配しているようだよ。 日本は今が台風シーズン、鹿児島県の沖泳良部島は台風10号のため、島の8割の家が壊れたとか。お気の毒だ。今度は、十一号が、関東地方に近付いている。太平洋上に逸れてくれることを願うのみだ。 ハンク・アーロンが、ホームランの新記録を樹立した王貞治選手を祝って来日。アメリカでも大きな話題になっているそうだが、日本では、首相が「国民栄誉賞」第一号を贈る事になった。多分に政治的だとの風評があるが、まあいいではないか。 北海道の有珠山は、やはり新山が出来つつあるようだ。その速さは、昭和新山が出来たときの二倍だそうだ。詳細は、朝日新聞の縮刷版を読むこと。9月分から送ることになった。 英語の講義はどづか。どのくらい理解できるのだろうか。まずは、語学力だろうなあ。グルーの先輩が言っていたね。最初の二年間が大変だと。サッカーで培った体力と精神力を無駄にしないことだ。それが出来る学生として選抜されたのだからね。全てに耐えてほしいと改めて期待する。 ではまた。 *グルー基金(現在グルー・バンクロフト基金)のこと。事務所は国際文化会館内。

(14)1977年9月18日 (淳一郎)

9月18日 (淳一郎) 大学の図書館の絵はがきです。買物があるのでお金を送ってください。それから、「現代用語の基礎知識」という事典もお願いします。ルームメイトがフットボール選手ですが、テレビからステレオ・洋服も一杯持っていて目を見晴らされます。 昨日、デジタルラジオを買いました。日本で買っておけば良かったと、いろいろ後悔の連続です。今朝はバスルームに行っている間に、風で部屋の戸が閉まり、ロックアウトされてしまいました。明日が何が起きることやら分かりません。 ではまた。

(15)1977年9月20日(恵子)

9月20日(恵子) 東京は大変残暑が厳しかったのですが、十五日ごろから秋らしい気候になりました。大学が始まったようですね。おめでとう。いろいろと大変だと思いますが、頑張ってください。とても良いところのようですね。食事内容が良いと聞いて安心しました。衣食住のうち食事と住居は心配ないのですが、衣の方はどうですか。ぼつぼつ寒くなるのではないかしら。荷物が未だ届かないとかお母さんも気になります。 田中君から預かっているカセットと、現代用語の基礎知識を送りますが、靴はどうしますか。フードつきのオーバーはどうしますか。衣類はそちらで買った方が良いと思います。欲しいものがあったら知らせてください。 こちらも少しずつ変っています。郵便局はまだ完成しませんが、びっくりするほど大きなビルです。その横にもレンガ作りのビルが建設中でしたが、やっと完成しました。1階が東京堂という大きな書店です。家からバス通りに出た四つ角にも、ビルが出来ました。楽器店などが出来るそうです。又、その横には、スーパーマーケットが出来ると聞いています。だんだん便利になります。 21日、22日、人間ドッグに入ります。元気な時に診てもらわなくてはね。初めての土地で厳しい冬を迎えるわけですから。健康には十分気をつけてくださいね。

(16)1977年9月20日 名前が新聞に載る (淳一郎)

今僕には、四つの楽しみがあります。食べること、寝ること、サッカー、それに手紙です。今日は陽子ちゃんから手紙が来ました。9月になってから書いた四十通の手紙の返事第一号です。嬉しかった。 一大ニュースがあります。僕の名前が二つの地方新聞に載りました。大学新聞にも載りました。サッカーの開幕試合で、僕が得点したのです。試合前日の大学新聞には、スターテイングメンバーとして、ストライカー、Junichiro Adachi Yokohama Japan。試合翌日の地方新聞にはJuidiro Adachiが点を入れて勝った。と出ました。JunichiroがJuidiroと間違って印刷されてました。 とにかく大変な一日でした。朝七時半に大学を出発、四時間のドライブ、それからもの凄い暑さの中で試合をしました。前半は0対2、前半終了間際に1点を入れて前半終了。後半20分ごろ、自分でも目の覚めるようなシュートが入って同点。延長後半に又得点して逆転勝利。勝利の感激は久しぶりでした。帰りは車の中で、文字通り勝利の美酒(ビール)に酔いました。 昨シーズンの成績は、中西部で準優勝だったようです。そこで、今年こそはとみんな張り切っています。だけど正直に言うと下手ですね。高校の時の方が上手な選手がいたと思います。ただ体が大きいので迫力があります。はっきり言ってこの時からみんなの態度が変りました。勿論僕も変りました。チームの一員に本当になれたような気がします。サッカーチームを中心にして友達が出来ました。図書館で勉強していても、話しかけてくれるようになりました。練習もより楽しくなりました。 荷物はまだ届きません。カセットもまだです。気がやきもきします。もっと早く届く方法はないでしょうか。航空便だったらどのくらいかかるでしょうか。早いほうが助かります。 お金はまだ三百ドルぐらいあります。クラスが始まってからはほとんど使いません。夜コーヒーを飲むくらいです。全然キャンパスから出ないんですから金を使う機会も時間もありません。サッカーの靴やユニフォームも大学のものを使っています。洗濯も大学でしてくれます。サッカー以外のものは自分で洗います。試合に行くときは、交通費も食事もただです。高校時代休日の度に弁当と持って電車賃を払って試合に行ったのとは全然違います。 とにかく、大学いもアメリカにも慣れて、マイペースが出来た...

(17)1977年9月26日 日本語の単語が出ない (淳一郎)

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浴衣をプレゼントした友人と 9月24日の試合は、0対1で負けました。又前日の新聞に名前が載りました。初めてのホームゲームだったので張り切っていたのですが、残念でした。来週は土日と二日連続の試合があります。遠方なので、土曜日はホテルに泊まります。 21日に待望の荷物が1個届きました。ダンボールはぼろぼろで、今にも分解しそうでした。もう一個はどうなっているのでしょう。そちらにカセットが入っているので心配です。カセットデッキは来週あたりに届くことになっています。シカゴの日航から電話がありました。どづしてもシカゴまで行く時間があないので、通関と運送を業者に頼みました。料金は日航に立て替えてもらうことにしました。60ドルぐらい掛かるそうです。シカゴまで行くよりは安上がりです。 浴衣の帯はどこに入れたっけ。この間浴衣を着てパーテイーに行こうとしましたが、帯が見つかりません。仕方なく風呂敷で間に合わせました。友達が一人、浴衣がほしいと言っています。じゃあ親に頼んでやると約束しました。代わりに彼から自動車の運転を習う予定です。180センチぐらいの男です。いくらぐらいで売ったらよいでしょうか。 銀行及び口座番号はFirst Galesburg National Bank and Trust Company Account No., 1453-0 他に小切手が使える口座も作りました。 靴はこちらの物が安くて良い物がありますので、こちらで買います。ダブダブのバンタロンみたになズボンがありましたね。あれを送ってください。後はセーターとオーバーぐらいかな。今のところ衣類には不自由していません。ご心配なく。とにかく、買物に行く時間がなく、キャンパスからほとんど出ていません。ウイークエンドには、町の店がみんなしまってしまいます。せっかくの休日を利用して買物しようとしても出来ません。これはちょっと困ります。仕方なく、一週間の疲れを癒すことにしています。日曜日の寮は不思議なくらい静かになります。友達たちはどこか行くところがあるのでしょうか。五日間勉強して金曜日の夜騒ぐと、日曜日には又勉強する気が出てくるものです。週休二日制はなかなかいいものです。土曜日に試合があっても、翌日は休めますからね。日本も早く実施すべきです。 先日渡辺さんがシカゴから電話をしてくれました。先輩は有難いものです。クリスマス...

(18)1977年9月23日 (五郎)

今日は秋分の日、大相撲の秋場所を聞きながらの手紙だ。 サッカーの練習で怪我をしたそうだが、大事にならなくて良かったな。心配していあことだった。何しろ相手が大きいので、ダメージが大きいからね。荷物がまだ着かないそうだが、一体どうなっているのだろうか。こちらで調べたところ、8月は毎年大変混雑して遅れるのだそうだ。でももう着く頃だとのこと。一方カセットデッキは、購入先の山際電機に問い合わせたところ、「シカゴ税関止めになっている。シカゴ税関から大学に電話したが不在だった。それで、本人からシカゴ税関に電話してほしい」とのこと。ああ、外国はややこしいですな。 冬の衣類などを航空便で発送。10日程度で着くそうだよ。大学の教授と講義以外にも話しにいくことは大事なことだ。大きな大学ではとても出来ないことだね。ノックス大学のこの長所を最大限に活用してもらいたい。小さい大学で本当に良かった。 暑さ寒さも彼岸までの諺どおり、日本も急に涼しくなった。こちらは、これから一年中で一番良い気候を迎えるわけだが、そちらは一気に秋を通り越して冬になるのだと思う。淳一郎にとっては、かつて経験したことのない厳しい寒さの中で暮らすことになるのだ。そのためには、今から体力の維持に気をつけるように。

(19)1977年9月27日 (五郎)

21日付けの手紙が今日届いた。今回は嬉しい便りだ。待望の荷物が届いた由、良かった良かった。一時は行方不明になったのかと思ったのだが。後は、カセットデッキだね。どうして別々になるのかな。 先の手紙に書いたように、シカゴの税関に問い合わせて欲しい。金や冬物の衣類等は届いたか。今回から航空便にしたので早く着くはずだ。ゲールズバーグからの手紙は四日ぐらいで届くよ。こちらかの手紙はどうか。 淳一郎の手紙を読むと、日を追って大学生活に溶け込んでいく様子がよく分かる。こんなに早く慣れるとは思わなかった。やはりサッカーチームに入ったことが良かったんだ。芸は身を助けるというからね。おおいに自信を持つと同時に、慢心、奢りを慎むことだな。 今日こちらでは大変な事件が起こった。江田駅の近くの民家に、米軍のファントム偵察機が墜落、機は炎上、民家3軒が全焼、9人が重体(内こどもが二人)。パイロットは、パラシュートで脱出。今後の外交・政治問題になること必須。重体の人が死なないように祈るのみ。 今夜は中秋の名月、すばらしい満月が中天に輝いている。

(20)1977年9月29日 (淳一郎) 冗談はわからないが一緒に笑う

又、一週間が終わろうとしています。金曜日の夜は、図書館がガラガラ。本当に週休二日制というのは良い制度です。 荷物が全部届きました。カセットデッキも昨日無事に着きました。ご心配をかけました。昨日、シカゴの日航に45ドル小切手で送りました。やっとこれから落ち着いて勉強が出来ます。お金も今日つきました。ありがとう。早速銀行に預けました。 やや疲れ気味です。毎日図書館でうたた寝ばかりしています。そのためか一昨日から風邪気味です。昨日はサッカーの練習を休んで一日じっとしていました。もう大丈夫です。一時は熱が出るのではないかと思いましたが、りんごをかじってひっっ繰りかえって音楽を聴いていたら大分気分が良くなりました。今週末はサッカーの試合が二試合あります。土曜日は相手の大学の寮に泊まります。休養が第一ですね。 先日床屋に行きました。電気鋏でジャーとやっと20分ぐらいでおしまいです。頼まなければシャンプーも髭剃りもやってくれません。料金は3ドル30セントです。安いです。床屋はアメリカがいいです。 毎日よく食べます。食欲が回復しました。夕食は7時前ですが、12時ごろになると同じ階の連中とピザを注文して食べます。Suiteといって各階毎にあるリビングルームみたいなところに、三々五々集まってきて食べます。このときのおしゃべりはほとんど冗談ですが、何がおかしいのか僕には分かりません。しかし、一緒に笑っています。 日本から持ってきた音の出る計算機とセイコーの時計がみんなの人気を博しています。アメリカ人はおしゃべりで陽気で無邪気な反面、自分の考えを表現することには長けています。ノックス大学は小さな大学ですが、いろいろなタイプの学生がいます。年を聞いてみると二年生でも、僕より年下の学生がいます。 もう一つ気になることは、僕が食事中に話すことに慣れていないことです。もっとゆっくり話しながら食べないと、ここではやっていけないような気がします。習慣の違いの一つでしょう。これからは、話しながら食べる、食べながら話すように心がけます。朝夕は大分寒くなってきました。秋分も過ぎたのですね。先日の手紙でそのことに気が付きました。このころはいろんな人から手紙をもらって励みになります。 E.フロム著「自由からの逃走」という本があったら送ってください。 ではまた。