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(1)冗談はわからないが一緒に笑う(バンクロフト基金生の記録)

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このブログは1996年に発行された小冊子に基ずいた内容に近況を加えたものである  まえがき 一人息子の淳一郎が、高校卒業と同時にアメリカの大学に留学したのは、1977年8月であった。彼はバンクロフト奨学基金(*下記注)の留学生としてアメリカで四年間勉強することになった。留学先は、イリノイ州のゲールズバーグという小都市にあるノックス大学。この大学は奨学基金の創始者バンクロフト駐日大使の母校である。この冊子は、その四年間の親子の間に交わされた手紙の一端である。 親子の間に交わされた手紙は、第三者には面白くもおかしくもない、退屈な読み物に違いない。その上、私信を冊子等にまとめることは、人様の私事に触れることが多分にあるので、なかなか実現できなかった。いろいろ考えている間にとうとう二十年近く経過してしまったのである。 しかし退職後退屈しのぎに色褪せた手紙を読み直しているうちに、これは我が家にとっては貴重な財産ではないかと気付いた。記録として残しておく価値があるのではないかと考え、人様に失礼のないよう十分に配慮することを第一にして発行することにした。 そこで習い始めたワープロで私が入力することにした。一日二ページをノルマとしたが、入力だけで約半年を要したことになる。白内障手術後の目には良くなかったかもしれない。 (1996年4月22日 足立五郎) 注:バンクロフト基金は後日グルー基金と統一され現在は グルーバンクロフト基金 として運営。

(2)バンクロフト奨学基金とは(現在グルーバンクロフト基金)

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大正十三年から十四年にかけて、バンクロフト大使が東京に駐在されていた頃は、丁度移民問題に絡んで日米間の関係がかなり不穏な状態にあったため、これを憂えた金子堅太郎、牧野伸顕、壇琢磨、樺山愛輔の諸氏とバンクロフト大使との間にしばしば非公式の会合が持たれた。その際、参加者一同の一致した結論は、日米両国の親善のためには、それに貢献された前記の諸氏の後を継いで、その重要な役割を果たし得る人材の育成が急務であるということであった。 特にバンクロフト大使は、この問題について深く考慮され、自ら三百万ドルを募って、日本学生をアメリカの大学に留学させる計画を立てられたが、これが図らずも当時の極端な一部の国粋論者の知るところとなり、米国人の寄付金で日本留学生の留学の資に充てることの非を鳴らしてこれを排撃したため、止むなくこのことは一時中止となった。 その後、まもなくバンクロフト大使は病を得て日本在任中に永眠されたが、その遺言書の中に遺産の一部を日本学生のために充てたいと認めてあったため、大使の令甥であるエルブリッジ・バンクロフト・ピアス氏より樺山氏充て昭和二年六月十二日の書簡で次のような申し出があった。 「大使の令弟フレデリック・バンクロフト博士及び令妹の、ミセス・ウイルソン・エーチ・ピアスは大使の遺志を尊重して十五万ドルを奨学資金として寄贈したいこと、内十万ドルは直ちに日本に送り、財団を組織し、五万ドルは米国に残し、大使夫人の令妹ミス・フランシース・ヒーリーの存命中その利子を同女史に提供し、死後はこれを財団に寄付したい。」ということであった。 そこで樺山氏は新渡戸稲造、大久保利武、米山檜吉、団琢磨、姉崎正治、浅野良三、坂井徳太郎、森村市左衛門、小松隆、高木八尺の諸氏と相談の結果、バンクロフト大使の遺族から送られてきた十万ドル(当時の邦貨二十二万円)をもって財団法人バンクロフト奨学基金を設立、昭和三年十二月二十八日その許可を得て直ちに留学生の選考に着手した。 こうして大使の遺志は実行に移され、七名の留学生が派遣された。しかし第二次大戦のため一時中止の止む無きに至り、また戦後は円貨の暴落により復活は全く不可能になり昭和二十八年まで中絶のまま推移した。 ところが、前記ミス・ヒーリーが逝去のため、当初の約束どおり、残された前記五万ドルの清算金四万七千ドル余が昭和二十八年四月寄贈され...

(3)1977年 8月5日 英語の心配なし アメリカからの第一信(淳一郎)

1977年(昭和52年)8月5日 元気でやっています。無事ニューヨークに着きました。ご心配なく。グルーの先輩の岩本さんや、緒方国連大使に会いました。ニューヨークも今日で四日目です。慣れてくると、なかなか面白いところです。英語の心配も、日常生活では全然ありません。四年もたてば、日本語がしゃべれなくなるというのは本当のようです。毎日新しいことが覚えられて楽しい生活です。明後日、8月7日ニューヨークを発ってブラウン大学に行きます。 *岩本汎氏。元NHKニューヨーク特派員。

(4)1977年8月13日 体力回復に励む(淳一郎)

8月13日 英語の勉強もさることながら、体力の回復を図らなくてはと頑張っています。毎日水泳、ランニング、サッカー、ビリヤードなどして慌しく暮らしています。来週から乗馬のレッスンをすることにしました。 ロードアイランド州も、日本と同じように暑い日が続いています。風がないのでまいってしまいます。しかし、環境はすばらしい所です。どうも変な日本語になってしまいました。では。

(5)1977年8月13日(五郎)

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(見送りの学友に囲まれて 羽田空港) アメリカの第一印象やいかに。 国際文化会館の加藤さんから電話。二人とも無事にニューヨークに着いたこと。緒方貞子国連領事や岩本先輩にお会いしたことを知らせてくださった。新聞報道によると、ニューヨークは、あまり暑くないとのこと。これは何より。母さんは、「岩本特派員発、又もニューヨークで通行人が殺される」というニュースを聞くたびに、「早くニューヨークから離れてくれないかなあ」と。全く同感。 ところで、羽田まで見送りに来てくれた友達の名前を知らせて欲しい。礼状と出しておきたい。はがきは既に印刷済み。 8月2日、羽田から帰宅して淳一郎が今まで使っていた部屋を整理した。当分この部屋を私の書斎にすることにした。今、その部屋でこの手紙を書いている。書棚を見て改めて淳一郎の読書量に驚嘆しているところだ。一日一冊がノルマとは聞いていたが随分読んだものだ。これからは、英語の本を今まで以上に読まなくてはならないね。大変なことだが、自ら選んだ道だ。体に気をつけて頑張ってもらいたい。 こんなことを書いていたら、母さんが書くスペースがなくなってしまった。

(6)1977年8月18日 アメリカでは馬も英語 (淳一郎)

ニューヨークに居たときは、さほど英語の障害を感じなかったけれど、ブラウンに来て改めて英語力の不足を感じています。ここにも日本人はかなりいます。ルームメイトも日本人なので、部屋に帰ってくると、つい日本語をしゃべってしまいます。フランス人やスペイン人も来ていますが、僕らのクラスにいる人はみんなインテリで、会話の時間になるとすぐに政治や経済の話になってしまいます。「又始まった」と思いながらも何も言うことが出来ない自分が惨めです。話すことが無ければ、話しようがないですからね。 この間初めて馬に乗りました。アメリカでは、馬も英語を話します。渡辺君を覚えていますか。彼の友達がブラウンにいて、よく面倒をみてくれます。今度三年生になる人ですが、グルーの先輩の岡本さんのクラスメイトだそうです。その彼が、乗馬のレッスンを取っているので、石田さんと一緒に入れてもらいました。まだ、これから五回レッスンが残っています。楽しみです。 週三回サッカーをやっています。大男ばかりですが、たいしてうまくありません。練習時間になるとどこからか集まってきて、終わるとどこかへ行ってしまいます。 この間は二時間続けて練習しました。芝生の上での練習は気持ちの良いものです。汗をかいた後はプールで泳いだり、ビリヤードをやったりしています。こんなことをしていられるのも今のうちだけです。9月早々、いよいよKNOXに行きます。 勉強のことを考えると、どうなることかと今から心配です。 あ、そうそう、見送りに来てくれた人は、全員翠嵐高校生です。宮川雅生・小峰雅・山田・手塚文彦・佐々木直彦・藤田秀治・小尾勝俊・鎌田茂・斉藤譲・小川・鮫島・根元。後は忘れました。 ブラウンはもう秋の気配です。ここに来たときは本当に暑かったけれど、この間雨が降ってからは、8月とは思えないほど涼しくなりました。よく雨が降るし雷もなります。昨日などは、長袖を着ていました。日本の八月を思うと信じられません。 日本のニュースは全然伝わってきません。別に知りたいとは思いませんが、どこかの火山が爆発したらしいこと以外は。 本当に手紙を書くのは時間がかかります。では又。 *1ブラウン大学のこと。その年の各国からの留学生が、この大学で約一ヶ月語学の習得をしたらしい。 *2渡辺信一氏。留学生の二年先輩。ブラウン大学に留学中。 *3石田江里子氏。同期...

(7)1977年8月23日 (恵子)

昨晩、淳ちゃんの夢を見ました。夢の中で、今アメリカへ行っているんだよ、と言いながら青葉台の家に居るんですから変ですね、というところで目が覚めました。 ニューヨークからの絵はがきが届きました。ほっとしているところです。体の方はどうですか。疲れがでる頃と思います。気をつけてください。 こちらは、このところ15日ぐらい雨が続き、暑さも峠を越えて夜は暑い布団を出して寝ています。とてもプールどころではありません。作物の成育が心配です。我が家のトマトも青いままなかなか色ついてくれません。関東地方はこんな天候ですが、高校野球をしている関西地方は、良い天気が続いています。昨日決勝戦があった東洋大姫路高校が優勝しました。神奈川県の東海高校は、一回戦で敗退しました。 淳ちゃんの部屋を掃除していたら、三井銀行の古い預金通帳が出てきました。72年が最後になっているので、小学校から中学校時代に使っていたものと思います。覚えていますか。全額払い戻しておきました。何か買って送りましょう。ゲバはとても元気で三度三度食事をしているようです。食事といえばそちらの食事はどうですか。 脂っこいのではないでしょうか。野菜不足にならないように気をつけてください。洗濯はどうしていますか。送って欲しいものがあったら知らせてください。 落ち着いたら、できるだけ早く銀行に口座を作って知らせてください。急にお金が必要になっても直ぐには送れませんからね。 今夜の12時です。そちらは何時かしら。時差というのは本当に面倒です。くれぐれも体に気をつけて。またお便りします。

(8)1977年9月3日 ノックス大学到着 (淳一郎)

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昨日、ノックスに着きました。羽根先生が、空港まで出迎えてくださいました。空港といっても、我が家より小さいターミナルです。シカゴからは、十人乗りのプロペラ機でした。それしか便がないのです。下を見ると、一面のとうもろこし畑、川も無ければ森もありません。ただ、まったいらな土地です。ここで、これから四年間暮らすのかと思ったら、感動して笑い出してしまいました。 大学のあるゲールズバーグはきれいな町です。本当に静かな町です。僕はすぐに寮に入りましたが、今この建物に居るのは僕だけです。すぐうるさくなるそうですが。嵐の前の静けさを一人で楽しんでいます。ノックスの先輩の河崎さんももうここに来てました。髭ぼうぼうの英語の上手な人です。今日はウイークエンドです。それで、事務員には会えませんが、郵便が前住所の三軒茶屋に回ったようです。 学校が始まるまで後5日、しばらくごたごたすることでしょう。羽根先生は、会話は英語ですが、日本語の読み書きは僕以上でしょう。お父さんの手紙とお土産を届けました。大変喜んでくださいました。お嬢さんが僕と同じく1年に入学します。 ブラウン大学での四週間は、英語の勉強というよりは、アメリカに慣れるということでした。ブラウンの学生でグルーの先輩の岡本さんに会いました。彼は、7月30日に郷里三重県から帰って来て、早速僕を訪ねてくれました。最後の晩は、彼の友達2人と僕たち5人で寿司を作って食べました。かつお一尾とタイ5尾を切れない包丁でおろして握り寿司や巻き寿司にして食べました。残りは、醤油で甘辛く煮て食べました。魚のおろし方を習ってくれば良かったと思いました。今度、加藤さんに会ったら今後の留学生には、渡米前に料理の講習も必要だとお伝えください。 ところで、日本のニュースが全然分かりません。少しは知りたいので、朝日新聞の縮刷版を送ってくれませんか。ホームランの世界新記録を作ったことは、ラジオはテレビで報道しています。 銀行口座Saving No.14653-0 Junichiro Adachi First Galesburg National Bank 僕の住所 170 Knox College Galesburg, IL 61401 *1羽根幹三先生。日系アメリカ人。ノックス大学歴史学の教授。 *2加藤幹雄氏のこと。国際文化会館専務理事。

(9)1977年9月7日 (五郎)

いよいよ9月、無事大学に着いたことと思う。どんなところかな。いろいろと想像してみるのだが、所詮無理なこと。地図だけではとてもイメージは浮かんで来ない。今回は、用件のみ。 *8月5日に大学から書類が来た。調査書だったので分かるところだけ書いて返送。後で目を通しておくように。 *同封の書類が来たので送ることにした。必要事項は、メモしておいた。 *カメラの電池がなくなると、使用できなくなる。アメリカには、その電池がないそうだから、こちらから送ることにする。 こちらの近況 *王選手が、ホームランの世界新記録を樹立した。そちらでも報道されていると思う。 カーター大統領からもお祝いのメッセージが届いたそうな。 *北海道の有珠山が大爆発、新昭和新山が出来るのではないかと報道されている。 *関東地方は、8月6日から22日間連続の雨降り。(これは新記録)毎日低温続きだったが、今日、やっと三十度を越した。夏はやっぱり暑いほうがいい。 *今日、田中美智子さんから電話。羽根先生にお会いしたそうだ。足立君のことよろしくお願いしてくださった由。私からは、今日あたり、羽根先生をお訪ねしたのではないだろうかと伝えておいた。 ではまた。 *1先輩留学生。ノックス大学OB。

(10)1977年9月11日 サッカーチームに入部 (淳一郎)

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明日からクラスが始まります。サッカーのチームに入って毎日練習しています。そうでもしないとなかなか友達が出来そうにもなかったからです。毎日午前と午後の2回練習していますが、そんなにきつくはありません。日本の感覚でいくと、だらだらしているといった感じです。練習中にみんなが言う冗談は、ほとんど分かりません。友達の名がすぐに出てこないので、なかなかボールに触れません。そういう鬱憤を晴らすためにボールを蹴っています。 食事は立派です。ブラウンより格段とおいしいです。朝昼晩、その後又何か食べるというふうで、出発前の倍くらいは食べています。お陰で体の調子は良好です。 お金は今、400ドルあるので大丈夫です。もっと使うだろうと思っていましたが使う時間がありません。クラスが始まればもっと忙しくなるでしょうから、お金のことは心配しないで下さい。 英語と数学と社会学のクラスを取りました。マレーシアからたくさんの学生が来ていますので、彼らと一緒に留学生向けのクラスです。冬休みは、11月末から4週間あります。クラスを取るか、校内のアルバイトを見つけて寮に残るか、どちらかになると思います。サッカーの練習は、シーズン中(秋だけ)しかありません。後は自由になります。ノックスの環境は本当にすばらしい所です。施設が良いことは勿論ですが環境が最高です。天の川がよく見えます。リスがいっぱい走っています。毎日、手紙が来ていないかと見に行くのが楽しみです。先日は、なんとノックス大学からの手紙が三通。三ヶ月以上も前の日付けです。三軒茶屋の方に回ったようです。 ところで荷物はまだ届きません。朝晩は本当に寒いぐらいです。アメリカの学生はなかなかの衣装持ちです。ルームメイトも戸棚一杯持っています。彼は、ステレオ・テレビ・タイプライター・冷蔵庫などを持っているので何かと便利です。貸してくれます。夜はうるさくて困ります。みんなステレオ持ち込んでがんがん鳴らします。 ソニーのラジオカセットもまだ連絡がありません。シカゴまでは飛行機で70ドルかかります。シカゴから来ている学生が多いので、シカゴのことはいろいろ教えてくれます。ご心配無用です。しかし、ここに来るときは、シカゴ空港で迷ってしまいました。シカゴ空港の職員に尋ねても知らないというのですから、呆れてしまいました。それほど空港が大きいということでしょうか。それ...

(11)1977年9月14日 (五郎)

8月11日付けの手紙が続いて届いた。ブラウン大学では寿司を作ったとか、いったいどんな寿司が出来たのかと、お母さんと話し合った。まさか、アメリカまで行って、寿司を握ったとはね。日本では何もしなかったのに。加藤さんには魚料理の実習の大切と伝えておきます。 ノックス大学やゲールズバーグの町の様子がだんだん分かってきた。と思ったら、急に涼しくなってきた。衣類が足りないのではないかと、お母さんが心配している。足りないものがあれば買うだろうから心配無用と思うのだが、これが母心というものだ。今日、送金手続きしたところ、そちらの銀行の支店名がはっきりしないので、送金不能と言われた。仕方なく、今回は小切手で送る。もう一度、銀行名・口座番号を知らせてもらいたい。小包みやカセット等がまだ着いていないとのこと、びっくり。「現代用語の基礎知識・新聞の縮刷版」も送ったが、これもまた時間が掛かることだろう。これからは航空便とする。少しは早いだろう。ノックスからの手紙は早く着く。11日に投函したものが16日に到着。ニューヨーク等東海岸からは、10日も掛かっているのに。どちらが遠いのか、どちらが都会なのか分からないな。 アメリカの学生の真似をすることはないが、必要なものは遠慮なく購入すること。そのための必要な金は要求すること。田中くんからカセットをもらったので、次の航空便で送ることにする。 ではまたご自愛されたし。 *1中学校時代の同級生

(12)1977年9月16日 名前を覚えるのが大変(淳一郎)

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英語に飽きたので、手紙を書きます。今図書館にいます。毎日、クラス以外の時間はほとんど図書館にいます。クラスが始まってまだ3日ですが、まあ、なんとかやっています。数学と英語、それに人類学(聴講)を取りました。数学は今のところ高校で習ったところなのでついていけますが、おそらく進むのが早いので、予習復習が大変でしょう。英語は作文が主です。マレーシアの学生と一緒です。彼らは英語で教育をうけてきたそうです。それにしては、英語は下手です。 人類学のクラスは大変興味があります。今は、サルがどうして人間になったなんてところをやっています。教授が若く、セイロンに二年間単身で滞在したそうです。クラスが終わってから、KJ法で作った図解を見せながら質問したら、大変興味を示してくれました。これから、この教授のところに入り浸ることでしょう。 毎日、サッカーの練習があります。今度の土曜日の試合からレギュラーで出場出来そうです。バスで三時間以上もかかる遠くの大学まで行きます。旅行が出来るのが楽しみですが疲れることでしょう。 この間、練習試合で目の上におおきなたんこぶを作りました。例のごとく頭と頭がぶつかりました。ひどく腫れて、翌朝目が赤くなったので病院に行きました。頼みもしないのにレントゲン写真まで撮りましたが、異常の無いことが分かったのでほっとしました。一時は目が開かないほどでしたが、今はもう治ったのでサッカーをやっています。ノックスの学生は近くの病院でただで治療が受けられます。 荷物はまだ届きません。カセットも何も連絡がありません。不自由しているわけではありませんが、気がかりです。 ノックス大学の長所は、環境・施設のよさだけではありません。学生数の少ないことが最高でしょう。この特長を大いに活用しようと思います。クラスの後は、教授の部屋に行って話し合うことが出来ます。教授は時間を割いて学生の質問に答えてくれます。日本のような大きな大学(アメリカでも)では、教授は忙しすぎて時間が無いようです。ブラウン大学でもその傾向があると聞きました。本当に小さい大学でよかった。一年たつと、ほとんどみんなの顔を覚えられると先輩は言っています。 先日、僕にははじめてのPumphandleという楽しい学内行事がありました。教授や上級生の前を新入生が一列で通ります。一人ひとり、HiHiと言って握手します。僕はJunと...

(13)1977年9月17日 (五郎)

田中君から依頼されたカセットを同封。ラジオカセットは未だか。この手紙が着く頃は届いていると思うが、小包みがこんなに掛かるとは思わなかった。これからは方法を変えなくてはなるまい。 送金小切手は、20日ごろできる予定。今月中には届くだろう。冬の衣類はどうしたか、お母さんが相変わらず心配しているようだよ。 日本は今が台風シーズン、鹿児島県の沖泳良部島は台風10号のため、島の8割の家が壊れたとか。お気の毒だ。今度は、十一号が、関東地方に近付いている。太平洋上に逸れてくれることを願うのみだ。 ハンク・アーロンが、ホームランの新記録を樹立した王貞治選手を祝って来日。アメリカでも大きな話題になっているそうだが、日本では、首相が「国民栄誉賞」第一号を贈る事になった。多分に政治的だとの風評があるが、まあいいではないか。 北海道の有珠山は、やはり新山が出来つつあるようだ。その速さは、昭和新山が出来たときの二倍だそうだ。詳細は、朝日新聞の縮刷版を読むこと。9月分から送ることになった。 英語の講義はどづか。どのくらい理解できるのだろうか。まずは、語学力だろうなあ。グルーの先輩が言っていたね。最初の二年間が大変だと。サッカーで培った体力と精神力を無駄にしないことだ。それが出来る学生として選抜されたのだからね。全てに耐えてほしいと改めて期待する。 ではまた。 *グルー基金(現在グルー・バンクロフト基金)のこと。事務所は国際文化会館内。

(14)1977年9月18日 (淳一郎)

9月18日 (淳一郎) 大学の図書館の絵はがきです。買物があるのでお金を送ってください。それから、「現代用語の基礎知識」という事典もお願いします。ルームメイトがフットボール選手ですが、テレビからステレオ・洋服も一杯持っていて目を見晴らされます。 昨日、デジタルラジオを買いました。日本で買っておけば良かったと、いろいろ後悔の連続です。今朝はバスルームに行っている間に、風で部屋の戸が閉まり、ロックアウトされてしまいました。明日が何が起きることやら分かりません。 ではまた。

(15)1977年9月20日(恵子)

9月20日(恵子) 東京は大変残暑が厳しかったのですが、十五日ごろから秋らしい気候になりました。大学が始まったようですね。おめでとう。いろいろと大変だと思いますが、頑張ってください。とても良いところのようですね。食事内容が良いと聞いて安心しました。衣食住のうち食事と住居は心配ないのですが、衣の方はどうですか。ぼつぼつ寒くなるのではないかしら。荷物が未だ届かないとかお母さんも気になります。 田中君から預かっているカセットと、現代用語の基礎知識を送りますが、靴はどうしますか。フードつきのオーバーはどうしますか。衣類はそちらで買った方が良いと思います。欲しいものがあったら知らせてください。 こちらも少しずつ変っています。郵便局はまだ完成しませんが、びっくりするほど大きなビルです。その横にもレンガ作りのビルが建設中でしたが、やっと完成しました。1階が東京堂という大きな書店です。家からバス通りに出た四つ角にも、ビルが出来ました。楽器店などが出来るそうです。又、その横には、スーパーマーケットが出来ると聞いています。だんだん便利になります。 21日、22日、人間ドッグに入ります。元気な時に診てもらわなくてはね。初めての土地で厳しい冬を迎えるわけですから。健康には十分気をつけてくださいね。

(16)1977年9月20日 名前が新聞に載る (淳一郎)

今僕には、四つの楽しみがあります。食べること、寝ること、サッカー、それに手紙です。今日は陽子ちゃんから手紙が来ました。9月になってから書いた四十通の手紙の返事第一号です。嬉しかった。 一大ニュースがあります。僕の名前が二つの地方新聞に載りました。大学新聞にも載りました。サッカーの開幕試合で、僕が得点したのです。試合前日の大学新聞には、スターテイングメンバーとして、ストライカー、Junichiro Adachi Yokohama Japan。試合翌日の地方新聞にはJuidiro Adachiが点を入れて勝った。と出ました。JunichiroがJuidiroと間違って印刷されてました。 とにかく大変な一日でした。朝七時半に大学を出発、四時間のドライブ、それからもの凄い暑さの中で試合をしました。前半は0対2、前半終了間際に1点を入れて前半終了。後半20分ごろ、自分でも目の覚めるようなシュートが入って同点。延長後半に又得点して逆転勝利。勝利の感激は久しぶりでした。帰りは車の中で、文字通り勝利の美酒(ビール)に酔いました。 昨シーズンの成績は、中西部で準優勝だったようです。そこで、今年こそはとみんな張り切っています。だけど正直に言うと下手ですね。高校の時の方が上手な選手がいたと思います。ただ体が大きいので迫力があります。はっきり言ってこの時からみんなの態度が変りました。勿論僕も変りました。チームの一員に本当になれたような気がします。サッカーチームを中心にして友達が出来ました。図書館で勉強していても、話しかけてくれるようになりました。練習もより楽しくなりました。 荷物はまだ届きません。カセットもまだです。気がやきもきします。もっと早く届く方法はないでしょうか。航空便だったらどのくらいかかるでしょうか。早いほうが助かります。 お金はまだ三百ドルぐらいあります。クラスが始まってからはほとんど使いません。夜コーヒーを飲むくらいです。全然キャンパスから出ないんですから金を使う機会も時間もありません。サッカーの靴やユニフォームも大学のものを使っています。洗濯も大学でしてくれます。サッカー以外のものは自分で洗います。試合に行くときは、交通費も食事もただです。高校時代休日の度に弁当と持って電車賃を払って試合に行ったのとは全然違います。 とにかく、大学いもアメリカにも慣れて、マイペースが出来た...

(17)1977年9月26日 日本語の単語が出ない (淳一郎)

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浴衣をプレゼントした友人と 9月24日の試合は、0対1で負けました。又前日の新聞に名前が載りました。初めてのホームゲームだったので張り切っていたのですが、残念でした。来週は土日と二日連続の試合があります。遠方なので、土曜日はホテルに泊まります。 21日に待望の荷物が1個届きました。ダンボールはぼろぼろで、今にも分解しそうでした。もう一個はどうなっているのでしょう。そちらにカセットが入っているので心配です。カセットデッキは来週あたりに届くことになっています。シカゴの日航から電話がありました。どづしてもシカゴまで行く時間があないので、通関と運送を業者に頼みました。料金は日航に立て替えてもらうことにしました。60ドルぐらい掛かるそうです。シカゴまで行くよりは安上がりです。 浴衣の帯はどこに入れたっけ。この間浴衣を着てパーテイーに行こうとしましたが、帯が見つかりません。仕方なく風呂敷で間に合わせました。友達が一人、浴衣がほしいと言っています。じゃあ親に頼んでやると約束しました。代わりに彼から自動車の運転を習う予定です。180センチぐらいの男です。いくらぐらいで売ったらよいでしょうか。 銀行及び口座番号はFirst Galesburg National Bank and Trust Company Account No., 1453-0 他に小切手が使える口座も作りました。 靴はこちらの物が安くて良い物がありますので、こちらで買います。ダブダブのバンタロンみたになズボンがありましたね。あれを送ってください。後はセーターとオーバーぐらいかな。今のところ衣類には不自由していません。ご心配なく。とにかく、買物に行く時間がなく、キャンパスからほとんど出ていません。ウイークエンドには、町の店がみんなしまってしまいます。せっかくの休日を利用して買物しようとしても出来ません。これはちょっと困ります。仕方なく、一週間の疲れを癒すことにしています。日曜日の寮は不思議なくらい静かになります。友達たちはどこか行くところがあるのでしょうか。五日間勉強して金曜日の夜騒ぐと、日曜日には又勉強する気が出てくるものです。週休二日制はなかなかいいものです。土曜日に試合があっても、翌日は休めますからね。日本も早く実施すべきです。 先日渡辺さんがシカゴから電話をしてくれました。先輩は有難いものです。クリスマス...

(18)1977年9月23日 (五郎)

今日は秋分の日、大相撲の秋場所を聞きながらの手紙だ。 サッカーの練習で怪我をしたそうだが、大事にならなくて良かったな。心配していあことだった。何しろ相手が大きいので、ダメージが大きいからね。荷物がまだ着かないそうだが、一体どうなっているのだろうか。こちらで調べたところ、8月は毎年大変混雑して遅れるのだそうだ。でももう着く頃だとのこと。一方カセットデッキは、購入先の山際電機に問い合わせたところ、「シカゴ税関止めになっている。シカゴ税関から大学に電話したが不在だった。それで、本人からシカゴ税関に電話してほしい」とのこと。ああ、外国はややこしいですな。 冬の衣類などを航空便で発送。10日程度で着くそうだよ。大学の教授と講義以外にも話しにいくことは大事なことだ。大きな大学ではとても出来ないことだね。ノックス大学のこの長所を最大限に活用してもらいたい。小さい大学で本当に良かった。 暑さ寒さも彼岸までの諺どおり、日本も急に涼しくなった。こちらは、これから一年中で一番良い気候を迎えるわけだが、そちらは一気に秋を通り越して冬になるのだと思う。淳一郎にとっては、かつて経験したことのない厳しい寒さの中で暮らすことになるのだ。そのためには、今から体力の維持に気をつけるように。

(19)1977年9月27日 (五郎)

21日付けの手紙が今日届いた。今回は嬉しい便りだ。待望の荷物が届いた由、良かった良かった。一時は行方不明になったのかと思ったのだが。後は、カセットデッキだね。どうして別々になるのかな。 先の手紙に書いたように、シカゴの税関に問い合わせて欲しい。金や冬物の衣類等は届いたか。今回から航空便にしたので早く着くはずだ。ゲールズバーグからの手紙は四日ぐらいで届くよ。こちらかの手紙はどうか。 淳一郎の手紙を読むと、日を追って大学生活に溶け込んでいく様子がよく分かる。こんなに早く慣れるとは思わなかった。やはりサッカーチームに入ったことが良かったんだ。芸は身を助けるというからね。おおいに自信を持つと同時に、慢心、奢りを慎むことだな。 今日こちらでは大変な事件が起こった。江田駅の近くの民家に、米軍のファントム偵察機が墜落、機は炎上、民家3軒が全焼、9人が重体(内こどもが二人)。パイロットは、パラシュートで脱出。今後の外交・政治問題になること必須。重体の人が死なないように祈るのみ。 今夜は中秋の名月、すばらしい満月が中天に輝いている。

(20)1977年9月29日 (淳一郎) 冗談はわからないが一緒に笑う

又、一週間が終わろうとしています。金曜日の夜は、図書館がガラガラ。本当に週休二日制というのは良い制度です。 荷物が全部届きました。カセットデッキも昨日無事に着きました。ご心配をかけました。昨日、シカゴの日航に45ドル小切手で送りました。やっとこれから落ち着いて勉強が出来ます。お金も今日つきました。ありがとう。早速銀行に預けました。 やや疲れ気味です。毎日図書館でうたた寝ばかりしています。そのためか一昨日から風邪気味です。昨日はサッカーの練習を休んで一日じっとしていました。もう大丈夫です。一時は熱が出るのではないかと思いましたが、りんごをかじってひっっ繰りかえって音楽を聴いていたら大分気分が良くなりました。今週末はサッカーの試合が二試合あります。土曜日は相手の大学の寮に泊まります。休養が第一ですね。 先日床屋に行きました。電気鋏でジャーとやっと20分ぐらいでおしまいです。頼まなければシャンプーも髭剃りもやってくれません。料金は3ドル30セントです。安いです。床屋はアメリカがいいです。 毎日よく食べます。食欲が回復しました。夕食は7時前ですが、12時ごろになると同じ階の連中とピザを注文して食べます。Suiteといって各階毎にあるリビングルームみたいなところに、三々五々集まってきて食べます。このときのおしゃべりはほとんど冗談ですが、何がおかしいのか僕には分かりません。しかし、一緒に笑っています。 日本から持ってきた音の出る計算機とセイコーの時計がみんなの人気を博しています。アメリカ人はおしゃべりで陽気で無邪気な反面、自分の考えを表現することには長けています。ノックス大学は小さな大学ですが、いろいろなタイプの学生がいます。年を聞いてみると二年生でも、僕より年下の学生がいます。 もう一つ気になることは、僕が食事中に話すことに慣れていないことです。もっとゆっくり話しながら食べないと、ここではやっていけないような気がします。習慣の違いの一つでしょう。これからは、話しながら食べる、食べながら話すように心がけます。朝夕は大分寒くなってきました。秋分も過ぎたのですね。先日の手紙でそのことに気が付きました。このころはいろんな人から手紙をもらって励みになります。 E.フロム著「自由からの逃走」という本があったら送ってください。 ではまた。

(21)1977年10月4日 日本人は意思表示が下手 (淳一郎)

勉強したいことがどんどん増えてとても四年間では全部出来ないなあ、とボケッと考えている暇があったら、明日までの宿題をやることにしています。まず足元から確実に、ですね。 毎日が楽しくなってきました。一つは、一日一回は友達と何か議論することが出来るようになったからです。この前手紙を書いてから、いろんなことがあったような気がします。いろいろ思いついたこともあります。いくつかここに書いてみます。 先週は、サッカーを2試合して2勝しました。二試合とも場所が大変離れたところでした。アイオワ州とウイスコンシン州です。土曜日の朝早く出発して、午後試合、すぐに又車に乗って、次の大学の近くのモーテルに1泊、翌日の午後試合。終了後すぐに車に乗って約三時間のドライブ、夜八時に大学に帰ってきました。すぐに勉強に取り掛かる。月曜日の一時間目に数学のテスト。。。とまあ大変慌しい3日間でした。 でもドライブが楽しいです。アメリカだなと感じるのは、やはり土地の広さです。イリノイ州は真っ平らで変化に乏しいのでつまらないけれど、ウイスコンシン州は、山有り谷あり川ありですばらしい景色が見られます。ミシシッピの上流を初めて見ました。果てしなく続くトーモロコシ畑が一面枯れてました。1ヶ月前はまだ青かったのになあと、しきりに秋を感じました。今が一番いい気候です。 アメリカに来て二ヶ月経ちました。やっと気付いたことは、留学生特に日本人は話が下手です。そして、自分の国のことをよく知らないということです。我慢することばかり教えられていて、自分の考えをことばや文章で表現することに慣れていないように思います。このことは、ブラウン大学でも感じました。フランス人やスペイン・イタリア人は、 「この点についてあなたの国ではどうですか」と聞かれると 「私の国ではOOOです」 と答えますが、私たち日本人は(中には博士もいましたが) 「それは個人個人で違い、いちがいには言えない」 と言ってはっきり答えません。僕自身も今までの勉強が間違っていたのではないかと思うことがあります。マレーシア人が、東条英機のことを僕以上に知っていることを示されたときはショックでした。この四年間に日本のことについて書かれた英文の本を出来るだけ読みように心がけたいと思います。 日本の大学院について調べてください。試験の時期・難度・内容・方法など知らせてください。送...

(22)1977年10月9日 (五郎)

10月4日付けの手紙で、カセット・小切手等が無事に届いたそうで安心した。さすがに航空便は早いなあ。国内とあまり変らないようだ。次の二個の航空便も既に届いた頃だ。今日本ではハイジャック事件が大きな社会問題・政治問題・国際問題になっていることは承知のとおりだ。「赤軍」のメンバーは、大学卒か、現在在学中の者たちだ。大学では、どんな学問をしたのか、させたのか。学問によって得た知識だけが先行して人として最も大切な「知恵」をどこかに置き忘れてしまったのは、誰の責任か。本人か・学校か・家庭か・社会か・政治か。私は彼らの親がかわいそうでならないよ。 ところで、大学にもすっかり馴染んできたようで結構。サッカーでの活躍で存在感を高めたことは事実だね。それよりも、アメリカ人の宿題をタイプして夕食をおごらせたという話は愉快だ。本場の学生よりも英文タイプが上達したわけだからね。これも「芸は身を助ける」ことになるね。 友達が浴衣を欲しがっているとか、風呂敷の帯が素敵に見えたのだろう。もう、今年は夏物の浴衣は手に入らないので来年まで待って欲しいと、その学生に伝えておくように。来年必ず送ります。 四年間のアメリカ留学で何を学んだら良いか、いや学ぶべきか。難しく考えることはない。既にりっぱな習得をしていると思うな。日本人に足りないジョーク、食事中の話題の貧困、自己主張とその表現力等など、日本にいたら気が付かないことを既に気付いているではないか。学問の習得は当然のこと、言うまでもないことだが。 家の写真を同封。

(23)1977年10月10日 (恵子)

10月、すっかり秋らしくなり、長袖を着用するようになりました。アメリカ生活も既に二ヶ月経ちました。その後元気ですか。この間サッカーで怪我をしたとか、アメリカ人は体が大きいのでぶつかると思わぬ大怪我になると思います。よく気をつけてください。サッカーといえば、新聞に名前がでたとか、日本では出来なかったことがアメリカで実現できましたね。 荷物がやっと着いたとか、ホッとしました。9月22日航空便で書留を、9月25日オーバーやセーター、10月1日縮刷版と数学の教科書などを送りました。カセットももう着いたのではないですか。今日電気屋から電話がありました。 先日大変な事件がありました。9月27日、厚木基地から横須賀の母艦に向かって飛び立った米軍機が、江田駅から少し入ったところに墜落しました。住宅は疎らな所でしたが、家が三棟全焼、家に居た人は大やけど、重体9人(うち二名の子供は翌日死亡)パイロットは落下傘で青葉台の奥の方に下りたそうです。 一方日航機のハイジャックにも困っています。バングラデシュのダッカでもう百時間以上膠着状態が続いています。犯人は、日本の赤軍派です。 9月30日の夜久しぶりに経堂に行きました。叔父さん叔母さんが「淳ちゃんから手紙が来た」と、とても喜んで絵はがきを見せてもらいました。九品仏へは手紙を出していますか。必ず出してくださいよ。 由利枝ちゃんは、11月27日に結婚します。「渡辺家も足立家も夫婦だけになるので、これからは行ったり来たりしましょうね」などと寂しい話をしていました。結婚式には田舎の叔父さんたちがみんな上京してきます。みんな家に泊まります。賑やかなことでしょう。 浴衣を持って行ってよかったですね。帯は入れるのを忘れました。もう着ないだろうと思ったのですが、早速送ります。友達が浴衣をほしいといっているそうですが、来年まで待ってくれるように話してください。 今12時。これから風呂に入って寝ます。風呂で思い出しましたが、そちらの風呂に慣れましたか。 では元気で頑張ってください。

(24)1977年10月12日 1日6,7時間は図書館で (淳一郎)

10月7日にオーバーの航空便が届きました。秋らしくなったと思ったら、もう冬が来たような気がします。北風がびゅうびゅう吹き出しました。昨日は、氷点下まで下がったようですが、実際にはそんなに寒さを感じません。風さえ吹かなければクラスでも部屋でも、Tシャツ一枚で十分です。真冬用にももっと暖かいオーバーが必要になるでしょう。こちらで買いますからご心配なく。 相変わらず毎日サッカーをやっています。今週と来週は、中間試験のシーズンで、少し、緊張気味です。何しろ初めてのテストですからね。テストと言えば、この前の数学はクラス最高の96点でした。高校二年の最初の頃の復習でしたからわりと楽でした。暫くは、点稼ぎのため数学のクラスを取ることになるかも知れません。正直に言って文科系を専攻するのは相当骨です。未だ一ヶ月しかたっていないけれど、文科系に必要な英語力を思うと気が遠くなります。 現在の日常生活をお知らせします。8時起床、朝食後、一時間目のクラス、一日おきに二時間目のクラス、週四日四時間目のクラスがあります。クラスのない時間は、ほとんど図書館にいます。一日平均6,7時間は図書館で粘っています。午後は、四時から六時までサッカー、その後すぐに夕食。7時から11時まで図書館、部屋に帰ってくるのは11時過ぎです。たいてい、誰かがロビーみたいな所でたむろしているので、仲間に入ってピザを注文し、ビールか何かを飲んで一時ごろ寝るといった生活です。 町に出る時間がないですね。行くのが面倒くさいし、行かなくても用が足ります。従ってお金はほとんど使いません。 アメリカでは、焼き物が大変盛んなのには驚きました。ノックス大学にもクラスがあって、友達が二人そのクラスにいます。この間教室を見に行ったら、ろくろが6台あって粘土だらけになって真剣に取り組んでいました。そのうち僕もやらせてもらうつもりです。ここでは、浜田庄司という陶芸家が有名です。残念ながら僕はその人のことはよく知りません。何でも、益子焼で有名な人だそうです。 僕は最近どうも食べすぎのようです。高校時代のあの感覚が戻って来たようです。自分で考えてセーブしなくてはいけないと思いつつ、食堂では、ついもう一つ食べたいだけ何でも食べられるのです。肉体的には、至極健康ですからご心配なく。 それではまた、さようなら。

(25)1977年10月16日 (五郎)

今日は電話で元気な声を聞いて安心した。親子の手紙の交換はいいものだと思っていたが、電話はもっといいものだな。声には話の中身以上の表情があり、体調・思想も分かるんだね。あれからはぐっすり寝たことだろう。私たちも同じことだ。 大学院のことはまだ調べていない。詳しく調べてから知らせることにする。聞くところによると、不景気のため大学院への進学者が多く大変狭き門になっているとか。未だ先のことだが、日本の大学院に進むことは大賛成だ。これから十分検討すべき課題だと思う。 注文の本「自由からの逃走」は入手、「高崎山のさる」は注文済み、入手次第数学の教科書二冊と一緒に送るつもり。 経堂の由利枝ちゃん11月27日森本功さんと結婚、養子縁組だ。祝電を忘れないように。 日本人の欠点(話下手・表現力・自己主張不足等など)は、外国から日本を眺めて初めて分かることかもしれない。「井戸の中の蛙大海を知らず」だな。イリノイ州には日本に駐留したアメリカの軍人が多いと聞いたことがある。日本の良さも悪さも知っている人が大勢いることだろう。日本及び日本人を正しく理解してもらうことが大切だな。そういう役目もあるはずだよ。 (恵子) この間は懐かしい声を聞いてホッとしました。テストは終わりましたか。初めてのテストだから、結果はあまり気にしないことです。注文の本を送ります。着物を着る機会がありますが。必要でしたら言ってください。送ります。 羽根先生からお手紙をいただきました。左手で書かれたとか、ずいぶん難しい日本語を使っておられるのでびっくりしました。くれぐれもよろしくお伝えください。日本の物を送りしたいと思いますが何が良いでしょうか。 それでは風邪を引かないように気をつけてください。

(26)1977年10月22日 手紙を書くのが億劫 (淳一郎)

今週は、ホームカミングといってノックス大学のOBたちが、大勢母校を訪れて多くの行事が催されて賑やかです。今日は午前中にOB戦がありました。 中間試験が終わってみんな疲れ気味です。成績は、数学がA、英語がB、人類学がCでした。ちょうど学期も半分終わりました。学期が終わると6週間の休みがあります。ミニタームという3週間のコースがあるので、それを取ることになるだろうと思いますが、どうもこの期間の授業料はバンクロフト基金から出ないらしいのです。300ドル程度かかるので、現在思案中です。 どうも最近手紙を書くのが億劫になってきました。以前は、言いたいことがどうしても英語で表現できなかったので、日本語の手紙を通して表現していたのですが、英語で何とか話そうとすることに慣れてくると、手紙にぶっつける必要もなくなってきました。届く手紙も以前より減りましたしね。 先日は、突然の電話に驚かれたと思います。家の受話器の音が懐かしかったです。声がとても近いのにびっくりしました。何かあったときは、電話ですぐに話せることが分かって何だか安心しました。電話の価値を再認識しているところです。 近頃こちらの食事に飽きてきました。それにどうも食べすぎのきらいがあるようです。体重も増えてきたのではないかと思います。今日はこれから「てりやき」(すき焼きのこと)を食べに行きます。フラタニテイーと呼ばれるクラブがあって、そこでの夕食に呼ばれています。お母さんが日本人という友達がいて、彼が招待してくれました。秋が深まってきました。今日は風邪が強く、キャンパスは落ち葉で一杯です。リスやウサギの姿もめっぽう減りました。夜になると、オリオンが南天に輝きだします。友達に「星座はアメリカも日本も同じだ」と、いくら説明しても納得してくれません。ではまた、さようなら。

(27)1977年10月24日 (五郎)

12日付けの手紙22日受領。今回は時間が掛かっている。国内ではこのようなことは滅多にないのだが、これが外国郵便ということか。17日に羽根先生からの書簡拝受。日本語が上手なことには敬服。鄭重・躊躇・流暢など日本人でも若い人たちは使わないような言葉を自由に駆使しています。概要は、「淳一郎君は、サッカーを核にしてたくさんの友人が出来て元気にやっている。外国からきた学生としては英語が流暢。勉強が忙しくて寂しがっている暇はないようだ」と。早速、これからもいっそうのご教授をお願いしたいとの「鄭重」な礼状を書いて投函。先生のところに持参した焼き物が益子焼。浜田庄司作ではなかったかな。 「益子焼」栃木県益子町で作られる陶器。嘉年年間(1850年)から作られた。安政年間京都風の物も作られた。作品は素朴な土瓶・土鍋・片口・すり鉢など日用雑器が主だったが、販路を江戸にまで及ぼした。1924年、浜田庄司氏が定住して民芸運動を起こしてから、日本を代表する焼き物となる。特に、山水を描いた土瓶が有名。浜田庄司氏は72年文化勲章を受章。 羽根先生は、東洋史の専攻だそうだから日本の民芸については、私などよりご造詣が深いことは当然。喜んでいただいて本当に良かった。 数学のテストが96点でクラスでトップだったそうでおめでとう。高校時代の復習内容であっても良いことは同じだ。留学生が理科系に進む人が多いのは、ことばの障害があることは私にも分かる。現在の自然科学分野はまさに日進月歩、その進歩発展をコントロールする人文科学や政治力の向上が、期待される時代になっているように思う。 初めての冬、凍傷に注意。

(28)1977年11月1日 折り紙はアメリカでも有名 (淳一郎)

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写真が出来たので送ります。 シャーペンの針を送ってください。アメリカにはシャーペンというものはないようです。初めての学期も残すところ3週間となりました。サッカーの方は二試合残すところで、ミッドウエストの南部地区のチャンピオン確実で、今度の日曜日は、北部地区のチャンピオンのミネソタ州のカールトン大学とタイトルをかけて試合があります。カールトンというと僕が行くかもしれなかった大学です。ここからは、八時間ぐらいのドライブだそうです。サッカーは、フットボールのように予算が多くないので、バスではなくて小さな車に分乗ですから疲れます。 もう一つのニュースは、一月にカーター大統領がノックスに来るということです。カール・サンドバーグというゲールズバーグ生まれの詩人の生誕百年記念行事が、ノックス大学を中心にして盛大に行なわれます。カーター大統領も着て演説するそうです。町をあげての行事になるようです。テレビで中継されます。 最近折り紙に凝っています。毎夕食後に鶴を折っています。折り紙「Origami」という名前はアメリカでも有名で、たいていみんな知っています。ただ折り方を知っている人にはまあ出会ったことがありません。考えてみると、「折り紙」というのは、大した伝統芸術ですね。自分で折った鶴を眺めて、改めて感心しています。それから、驚いたことは、大学の本屋で「碁盤」を売っていることです。「囲碁」を少しやっていて良かったと思っています。 一昨日、夏時間から冬時間に変りました。一時間遅れるわけです。ということは日本との時差は15時間になります。今日はハロウイーンといって大勢の人が仮装しています。なかなか楽しいものです。 考えてみると、僕は今テレビを全く見ない生活をしています。19年の人生で初めての経験です。マスメデイアのない生活です。もっとも、新聞は不規則ながら読んでいます。新聞といえば、朝日新聞の縮刷版はまだ届きません。航空便なのに遅いですね。 羽根先生は、日本について何冊か本を書かれています。以前、丸山真男氏と仕事をしたことがあるそうです。 由利枝ちゃんの結婚式に田舎の皆さんが来られるそうで楽しみですね。よろしく伝えてうださい。祝電は次のような文面でお願いします。 「ユリエチャン、ケッコンオメデトウ。ハネムーンハ、アメリカヘキマセンカ」ジュンイチロウ。 それでは、また、さようなら。

(29)1977年11月3日 五郎

こちらは気持ちいい小春日和が続く。今年は、政治・経済を除けば台風もない静かな秋だった。ドルは、248円、私たちにも気になる円高だ。送金は楽だがね。先日、注文の本を航空便で発送、10日間程度で届くはず。 12月6週間の休暇には、是非ミニタームというのを受講してほしい。受講料は心配しないこと。聴講などもったいないよ。後の3週間は、先生・先輩・学友との交流と見聞を広めること。これは私の希望、最終的には自分で決断することだ。自分で決断したことが最高に決まっているさ。私の経験によると、家を離れて5ヶ月ぐらいした頃が、一番寂しくなるようだ。厳冬がそれを倍化させるかもしれない。そのようなとき、最も有効なのがスポーツだ。スキーが出来るような山があるのだろうか。日本の感覚で言うと、スキーといえば山だからね。 ではまた、頑張れ。 (恵子) 今日は11月3日、天候特異日の文化の日、快晴です。7年前、全国健康優良児特選児童として朝日新聞社から表彰され、皇居で天皇・皇后両陛下にお会いした日です。日本にいれば、鈴木くんたちと一緒に朝日新聞社に行ったことでしょう。今年の健康優良児童の世話は、1年前の人たちがやっているようでした。 相当寒くなったことでしょう。風邪には十分注意してくださいよ。オーバーは買いましたか。中間試験の成績はすばらしいではありませんか。数学は自信を持ってやってください。私の人間ドックの結果がやっときました。異常ありませんでした。安心してください。頑張って働かなくてはね。 アメリカの食事に飽きたようなので、何か送りましょうか。間食はあまりしませんでしたが、何か欲しいものがあったら知らせてください。 それではくれぐれも体に注意して頑張ってください。

(30)1977年11月11日 日本のことを考えなくなった (淳一郎)

昨日は雪がちらつきました。急に寒くなりました。体調は最高です。まずは荷物の件から。4日に航空便が2個届きました。新聞縮刷版は1ヶ月近く掛かっているのに、もう1個の方は、6日で届いています。随分不規則ですね。新聞に大変興味深い記事があるのに驚いています。3ヶ月経ってみると、新聞の読み方も変って来ました。マレーシア人と付き合っている関係から、注意して読むと、福田首相がアセアン諸国を訪問しているのですね。日本のことをレポートに書く必要から日本に関心をもって読みました。ちょうど終戦記念の月であることもあって大変有益な記事が目に付きます。今まで、もっと熟読すれば良かったと思いました。マスコミの問題がいろいろ書かれますが、読み方によっては大変有効な情報があることに初めて気が付きました。 ミニタームの費用は基金から出ることになりました。ご安心ください。 この週末は、初めて試合がありません。前に知らせたように南部地区で優勝したノックス大学は、北部地区代表のカールトン大学と戦い、延長で2対1で負けました。完全に勝てたゲームだったのに、どうしてもレフェリーは地元びいきになりますね。けれどよいゲームが出来て満足しています。1点は僕がアシストしたものです。 カールトン大学には確かグルー基金から女の子が一人留学しているのですが、名前が分からず会えなかったのは残念でした。せっかく8時間かけて行ったのに、ミネソタは真北にあたりやっぱり寒かったです。一週間後だったら吹雪の試合になったことでしょう。8時間のドライブというと、東京から岡山ぐらいの距離でしょうか。6,700キロぐらいです。アメリカの広さを実感するのに十分なドライブでした。 後1週間で期末試験が始まります。サッカープレーヤーはみんあクラスに追いつくのに必死です。もう来年の9月まで練習はありません。チームとしての練習はオフシーズンには許されていないそうです。それぞれ、水泳・ホッケー・レスリング・野球・バスケットなどのスポーツで冬から春を過ごすようです。僕も久しぶりに野球でもやろうかと考えています。ウエイトトレーニングを始めました。 ふりかえってみると、僕の英語も大分進歩してきたようです。そのためか友達も増えました。気が付いてみると、日本のことを考える時間が急速に減っているような気がします。今だから話せますが、8,9月の頃は毎日のように日本の...

(31)1977年11月14日 五郎

暖かい秋だと思っていたら、7日の立秋を過ぎてから急に寒くなった。11日にとうとうストーブを出す。最高気温10度、12月中旬の気温とか。北海道は、一日中雪降り。日本もいよいよ本格的に冬の到来。シカゴやゲールズバーグには比べることは出来ないがね。写真有難う。ノックス大学の寮の食事が良いためか、太ったようだな。「顔が何だか日本人らしくなった」と母さん。何だかそんな気もするなあ。大学のキャンパスはさすがに広い、芝の緑が印象的だ。日本には、こんなキャンパスはない。素敵な大学で勉強できる幸せを十分に生かしてもらいたい。 青葉台に便利になってきた。郵便局の改築工事と同時に建築中だったビルが完成した。その中にブックスという書店が開店した。大きな書店だよ。今は専らそこに利用している。便利といえば、田園都市線に16日から、新玉川線直通渋谷行き快速電車が運行されることになった。青葉台から渋谷までの所要時間は27分。ただし、時間は10時から16時まで。30分間隔で運行。東急百貨店での買い物客に対するサービスで、通勤者にはご利益なし。 由利枝の結婚披露宴の司会者は、古庄史郎くん、淳一郎の祝電は適当にアレンジして披露するそうだ。彼に一任した。新居は梶ヶ谷。洗濯機をプレゼントした。 リンカーン大統領が選挙戦で言った「人民のための人民の云々」の演説は、ペンシルバニア州のゲテイスバーグではなかったかな。ゲールズバーグでは立候補宣言でもしたのではないかと思うのだが、調べてください。 サッカーの試合で、ミネソタ・ウイスコンシン州など遠征、お陰で随分見聞を広めているようだが、8時間のドライブの後の試合とはやはりアメリカだね。 大学で「おりがみ」が流行しているとはびっくり。しかし、考えてみるとあれは大変な芸術だなあ。私など全く認識不足で、今までは折り紙など、女子供の遊びだとしか考えていなかったよ。恥ずかしい限りだ。次の小包みに「折り紙と折り紙の本」を送ります。ではまた。

(32)1977年11月18日 五郎

11月11日付けの手紙によると、サッカーは2対1で敗退したとか。残念だったなあ。試合に負けたのではなく、レフェリーに負けたようで悔しさが伝わってくるようだ。「負けるが勝ち」という諺もある。 「9月の縮刷版・高崎山のサル・折り紙」などを発送。航空便でも一ヶ月かかるようでは、処置なしだ。荷作りが悪いのかなあ。梱包技術だけは誰にも負けない自信があったのだが。 日本を外国から眺めることが出来るのは、何と言っても貴重な体験だ。これは、もう少し年を取ってから、具体的にいえば大学を出てからのほうが良いのではと思っていたのだが。10代で外国で勉強することも、新鮮な感覚で日本を観ることが出来ていいものだ。考え方を変えなくてはならないと思っているところだ。この考え方も日本では「人それぞれによって違う。一概には言えない」ということになるのかな。「老いては子に従え」か。大学院のことまだ調べがついていない。後日。 ではまた。

(33)1977年11月23日 サッカー選手で表彰される 淳一郎

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勝利の後で 今、ルームメートの家にいます。シカゴ郊外の静かな町です。明日24日はサンクスギビングでご馳走です。ターキーはダックを初めて食べることになります。 この一週間はいろんなことがありました。まずファイナルがあったこと。ベストを尽くしたと満足しています。数学は多分Aをもらえるでしょう。人類学は他の学生と同じテストを初めて受けました。三時間の持ち時間をフルに使いました。全てが論文なのできついテストでしたが、教授と親しくなれて楽しかったです。その教授は例のKJ法に大変興味を示してくれました。ミニタームの間に少しずつ僕が紹介することになっています。 ミニタームにはまた英語のコースを取ることにしました。論文を中心にした難しいコースですが、今後のためになると考えました。それともう一つ、コンピューターを使ってテープを処理するというソシオロジーのクラスにも顔を出すことになっています。単位を取るわけではありません。二単位は取れないことになっています。ミニターム開始までの五日間、キャンパスから離れます。今日明日は、ルームメイトの家に泊まります。明後日は、シカゴ大学の渡辺先輩のところに泊まります。そして、日曜日の晩に厳しいキャンパスに帰ります。月曜日からまた、三週間授業が続きます。 もう一つニュースは、サッカーで、All Conference Playerに選ばれたことです。自分でも満足のいくシーズンだったので、認められて嬉しかったです。ノックス大学から6人(1年から2人)選ばれました。Conferenceというのは、アメリカの中西部の大学を四つ分けたその一つのことです。 僕の写真太って見えますか。実際体重は70キロあります。二キロ増えたことは事実。食事の量が全然違いますからね。当然です。 リンカーンが「人民のために人民による云々」の演説をしたのは、お父さんの言うとおりペンシルバニアのゲテイスバーグです。リンカーンが始めて上院議員に立候補した時、対立候補のミスター・ダグラスと公開討論会をしたのがノックス大学のオールドメインというビルなのです。この建物の中に羽根先生のオフィスがあります。 この間、友達から週間読売を見せてもらいました。日本の経済は大変な時期にさしかかっているのですね。良い記事か資料があったら送ってください。それから、今西錦司著「ダーウイン論」(筑摩書房)「第三世代の...

(34)1977年11月30日 シカゴの休日を楽しむ  淳一郎

夜半宿題を終えて外を見ると、又雪が降り始めました。今8センチぐらいの積雪です。ミニタームが始まって3日経ちました。二時間ブッ続けのクラスが午前と午後にあるのは、ちょっぴりしんどいけれど何とかやっています。 五日間のシカゴの休日は楽しかったです。ルームメイトの家で過ごしたサンクスギビングは、少々食べ過ぎの毎日で新三共胃腸薬の世話になりました。シカゴでは、渡辺・藤本両先輩に会ってじっくり話してきました。言いたいことを日本語で言えるのは嬉しいですね。二人と話し合った結論は、何でも体力が物をいうこと、日本人同士の人脈を大事にしようということでした。 渡辺先輩は、親不知を四本抜いたばかりで少し熱があるようで気の毒でした。物理の博士課程を取るため最低5年間はシカゴで頑張るのだそうです。昔から体があまり丈夫ではないそうですが、そういうところが又魅力にもなっているようです。僕の今までの生活を話して、二人から意見を聞きました。それで、今やっていることにさらに自信をもつことができました。二人とも将来のことが大きな悩みとなっているようでした。四年経つと僕も現実問題に真剣に取り組まなくてはならないのでしょう。 3週間後に又会う約束をして部屋に帰って来ました。まさに「帰る」といった感じです。この部屋に10週間いたら、自分の家のような感じがしてきました。もっとも、今は学生がほとんどいないので、寂しいくらい静かです。折り紙や新聞縮刷版、クリスマスカードなどが届きました。やはり航空便は速いです。この前、郵便が一ヶ月もかかったのは郵便ストのためだったようです。 クリスマスカードや暦は、しゃれたプレゼントですね。12月中に送ってもらった本を読んでしまいたいと思っていますが、アメリカにくる前の読書のように速く読めません。又、送ってもらいたい本があります。「東南アジアハンドブック最新版」講談社。編集者は松本重治先生*です。 お金も届きました。ありがとう。お金といえば、サウジアラビアの学生が二人いるのですが、彼らはもう、8千ドル以上もするスポーツカーを買っています。月に5百ドル小遣いとして政府から貰っているそうです。今後の人間関係や彼の自身の行動がどうなるか要観察といったところです。 それではまた。 *財団法人バンクロフト奨学基金、グルー基金の元理事長。

(35)1977年12月12日 体感温度は零下50度 淳一郎

いよいよ年末になって、文字通り「師走」となっているのではないでしょうか。こちらは、とうとう本格的な寒波が押し寄せてきましたが、元気でやっています。昨日は、12月8日、真珠湾攻撃(Remember Pearl Harbor)の日でした。お父さんは、大変寒い日だといってましたが、こちらも昨日は、吹雪でした。現在の積雪15センチ、気温零下20度、風が強いので体感温度は零下4-50度ぐらいになるそうです。こちらの温度計は華氏なので、摂氏への換算計算ばかりやって変なことに感心ばかりしています。印象としては、日本の方が寒い感がします。何といっても部屋の中で、ストーブにかじりつくようなことはありません。シカゴよりゲールズバーグの方がはるかに寒いようです。シカゴには海のような大きなミシガン湖があるため、大分寒さが違うようです。 さて、先学期の成績が出ました。驚くなかれ、数学がA、英語と人類学がB。人類学でBが取れたのは嬉しかったです。何しろ一般学生と全く同じ論文ばかりのテストで82点が取れたのですから。英語の作文をまじめにやってきたのが良かったのだと思います。今も英語の論文を書かされています。ミニタームも後1週間、コンピューターの使い方が分かりかけてきました。また、一つ楽しみが出来るお陰でコンピューターも楽です。いずれ、正式なプログラミングのコースを取るつもりです。 今考えていることは、お金の使い方と、自分の性格の中で、どうも人に会った時第一印象で、相手の人柄を決め付けた見方をしてしまう癖を治したいということ。ちょっと頑固なところがあって、最初気に入らないと以後付き合うのを避けたがる傾向があります。これは、良くないですね。損をしているように思います。特に、国際社会においてはもっと自由に考えないと孤立してしまいます。人は付き合っているうちにどんどん変っていくものですよね。なかなか難しいことだけれど。 今ノックス大学には、二人のサウジアラビアの学生がいます。彼らh、政府の金で留学しているのですが、金の使い方はまさに豪快です。二人とも、既に8千ドル以上の新車を買ったし、部屋には電話を引き、家に電話をしたときは一回軽く百ドルは使う。寒ければヒーターを買ってくるし、カラーテレビも買う。しかし、勉強はあまりやらない、といって実態ですが、外見だけで判断するのは間違いですね。何と言ったらよいか、彼...

(36)1977年12月13日  五郎

手紙が途切れてしまった。由利枝の結婚式後、風邪で寝込んでしまった。疲れが出てきたのかもしれない。家も人の出入りが激しかったのでね。 サッカーで「オールカンファレンスプレイヤー」に選ばれたそうで、おめでとう。中学校時代からサッカーをしてきたことがアメリカで花開いたということか。今後の学生生活にもプラスになるだろう。 「ローマの休日」ならぬ「シカゴの休日」を満喫したそうで結構だった。よき先輩に学友、そして、よき師に出会うことは、人生の最高の財宝。特に外国で留学生活をしているものにとっては、何物にも変えがたい金銀財宝だ。失うことのないように大切にしなくてはならないよ。 日本は、大変暖かな日が続いている。師走だからもう小春日和とは言わないが、まさにそんな感じの日が続いている。この暖かい天候をシカゴに送ってやりたいぐらいだ。マスコミは、暖冬異変・異常気象などと報道しているが、寒いよりも暖かいほうがよい。ひまわりや菜の花が満開になったとか報道しているが、単なる狂い咲きではないようだ。 NHKの岩本特派員は、今ワシントンにいるようだね。日米通商交渉で元駐米大使の牛場特使が渡米中だが、その交渉記事が岩本特派員発として報道されている。円高ドル安は、日米経済戦争だ。アメリカは、日本に輸出規制を要求。日本は、国内産業が不振で倒産が続出しているし、日米間に今以上経済不信感が高まると、大変なことになりそすだ。 大学内でも、このことについては活発に討論されているものと思う。世界的不景気の中で「富めるアメリカ」も日本が原因で悩み、日米経済交渉では輸出規制を要求、簡単にいえば助けを求めてくるということは少々滑稽だが、日本は謙虚に受け止めて交渉にあたらなくてはならないと思う。 サウジアラビアの学生のこと、要観察、賛成だね。以て他山の石とすべきだよ。今に世界中の人から、日本人がそのように見られる日がくるかもしれない。そんな日が来てはならないのだが。 「おごれる平氏は久しからず」、「人の振り見て我が振り直せ」という諺もあるよ。 ではまた。今回はかたくなった。

(37)1977年12月16日 初めてクリスマスカードを書く  淳一郎

先週の大寒波が過ぎ去って、今週は穏やかな暖かい日が続き、春が来たような気がします。今日はミニタームのファイナルのレポート「日本の宗教的休日の重要性」を書き終わったところです。明日からのシカゴ・ニューヨークへの2週間の旅行の準備をしているところです。先日、羽根先生の家に呼ばれて食事をした時、「ゲールズバーグの春を愛す」(早川書房)という本を見付けました。ノックスの卒業生が、ゲールズバーグを舞台にして書いた短編小説です。実際の町の名が出ています。たいした小説ではないけれど、気が向いたら読んでみてください。羽根先生も「二流小説」と、ここだけは日本語で言われました。 本といえば、岡田先輩も本を出しています。潮流社「英版江戸小咄」といって廊話を訳されたものです。9月の縮刷版を見ていたら、あのAP記者の石山さんも英語のSwear Wordばかりを扱った本を出版したようですね。 ミニタームの間、ロータリークラブ奨学生でノックスにいる日本人と空手をやっています。拓大の空手部だっただけにたいしたものです。河崎さんの柔道着を借りて黒帯をしめて汗を流しています。河崎さんは、炊飯器を持っているので、時々ご飯を炊いて食べています。そこでお願いですが、「ふりかけやお茶漬けのり」など送ってくれませんか。それから碁の入門書も。 初めて、クリスマスカードというものを書いています。日本の友達には年賀状を兼ねたものにしました。由利枝ちゃんの住所を教えてください。それはそうと、あのデイシェインさんから手紙が来ました。フィリピンに転勤になったそうです。「大変な一年だったね、お互いに」と書かれていました。 ところで、正月のお年玉にはどんな意味があるのかご存知ですか。昨日、初めて知りました。昔は、分家の人々が本家に集まったときに、先祖の霊を分割するという意味で、ご馳走を食べたり、お年玉として分け与えたりしたらししのです。お中元のときの贈答も、年取った両親に子供が魚を贈ったことから始まったそうですs。プレゼントというのは、形式に過ぎないなどといわないで、お父さんもお母さんも面倒くさがらないで、クリスマスやお正月にプレゼントしあったらどうでしょう。これ、息子からの提案です。もっとも、僕は何も贈っていませんが。家の両親はまだ若いから、ご勘弁を。 *1岡田晃雄氏。バンクロフト奨学基金留学生第一期生。ノックス大学193...

(38)1977年12月26日 感謝しなくても良いのは我が家だけ 淳一郎

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イングリッド家訪問 明けましておめでとうございます。まだ新年になっていませんが、この手紙が届くのは年が開けた頃だと思いますので。今年のクリスマスはニューヨークで迎えました。高校三年の時、三ヶ月ほど翠嵐高校に留学していたイングリッドという子を覚えていますか。今彼女の家に厄介になっています。 彼女の両親は、25年前にドイツから裸一貫でアメリカに移民して、現在の地位を築き上げたのだそうです。お父さんの仕事は植木屋さんといったら良いでしょうか。りんごの苗木の新種を育て、果樹園業者に売る仕事をしています。現在の住居は150年前の建築ですが、毎年、自分の手で改築してきたそうです。とても素敵な家です。今年の夏は、ここで働くことになるかも知れません。休みの間の生活費ぐらいは、自分で稼ごうと思っています。そして、出来れば中古車を買うつもりです。冬など、車がないと何といっても不自由です。いつも、友達に頼ってばかりもいられません。こちらにいる四年間使うわけですから、買う価値は十分あると思います。旅行も安上がりですし、免許料も8ドルぐらいです。夏までには取るつもりです。 先週は、シカゴの友達の家を3軒泊まり歩きました。うち2軒は、日系の家なので、日本食ばかりご馳走になりました。毎日、「一宿一飯」の恩義を感じないときはありませんでした。どうやって、感謝の気持ちを表したらよいのか、いろいろ考える毎日です。はっきり言って「我が家」だけが心置きなく何でも食べて、何も感謝しなくても良い場所ですね。 初めて気が付きました。アメリカに親戚のない僕にとっては、どうしても、学友及びその家族の好意に甘えるしかないのでしょう。進んで家の仕事を手伝ったり、子守をしたり、話相手になることぐらいしかできませんからね。お礼の手紙は書いています。ご心配なく。 シカゴにいるかぎり日本の物すぐ手に入ります。日本の雑貨屋や本屋などでは 、日本語で買物が出来ます。餅だってラーメンだって手に入ります。何といってもサバがおいしかったです。 Japanese American Citizenship Leagueというのがあります。「日系米国人会」とでも言うのでしょうか。可能ならば会員になろうかと思っています。というのは、日本往復航空運賃が半額の600ドルぐらいで買えますし、いろいろの情報も入りますので何かと好都合です。 現在体重7...

(39)1977年12月28日 五郎

冬休みで旅行中とか。私たちも冬休みになってほっとしたのも束の間、年末の煤払い、ガラス拭きなどの大掃除で一日が終わった。一人手が減ったので大変だ。 ところでファイナルテストの成績はすばらしいではないか。立派だ。改まって、淳一郎の努力頑張りに敬意を表したい。良くやったなあ。おめでとう。去年の12月国際文化会館で加藤さんが「二年間はDでも良い」といっていたことを思い出しているところだ。加藤さんにお知らせすることを忘れないように。これからは、いっそう自信をもって努力を続けること、そして、謙虚な心を忘れない様に願いたい。 一週間前、ノックスからサッカースポーツニュースが送られて来た。淳一郎のサッカーの活躍の記事も載っていた。「朝日イブニングニュースに記事を送ったので、読んでもらいたい」との添え書きがあった。なかなか親切だね。朝日新聞社に問い合わせてみます。 写真を同封した。学友に日本の名山「富士山」を紹介してもらいたい。 別便で、本、ふりかけ、餅などを発送。餅はもっと早く送るべきだったが、例によって年末は師走でね。分かってもらいたい。今回は、年末年始のため日数が掛かるのではないかと心配しているのだが。ささやかな日本の正月をアメリカの友達と味わってもらいたい。 「贈答」「プレゼント」の故事来歴及び提案、どうも有難う。単なる形式だと無下にしているわけではないよ。故事には、歴史がある、伝統・風俗習慣がある。その底辺には、人の道の教えがあるね。これからは、せいぜい実行することにする。ところで、中国には「隗より始めよ」の諺があるよ。この意味が分かるかな。 「人間関係の大切さと難しさ」は、人間一生の課題だね。手元にあるカーネギー著「人を動かす」という本に、「これからの社会は、いかにして、その人に重要感を与え、持たせて、組織人として価値を認めるかに掛かっている。人をして重要感を与える第一のキーは、その人の持っている価値を認めることである」と書いている。全く同感だ。 私も好き嫌いの激しい欠点がある。人を批判し非難している間は、相手も、同じ様に自分を批判非難していることを知るべきだね。まして、その人を組織の中で、十分に活躍してもらうことは不可能だね。このことは、国際社会の中ではいっそう難しいだろうが、なお一層大事なことだと思う。これは、誰も教えてくれないよ。自分で、日々努力を続けることしか方法...

(40)1978年1月9日 初めて学友をもてなす  淳一郎

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御餅が届きました。早速日本人の三人が中心となって、ライスケーキパーテイを開きました。4,50ぐらい焼きました。醤油と砂糖をまぶして、のりを巻いた餅は、日本人の僕らにとってはあたりまえのものですが、こうして異国で見ると、なんとも言えないエキゾチックな形と色と匂いがします。特に「のり」がめずらしいようです。みんなは「魚のにおいがする」と言っていました。「海苔(シーウイード)」と説明したところ、中には、説明を聞いただけで閉口してしまった者もいました。しかし、60%ぐらいは大変気に入ってくれたようで、もう一つもう一つと注文がありました。僕は餅焼き専門だったのですが、とても楽しいパーテイーでした。何しろ僕から友達に何か物を与えるという経験は、今回が初めてといっていいくらいですから。何時も貰ってばかりいてはいけませんね。 Give And Takeという言葉は、中学校時代の恩師岩田先生がよく使われていた言葉ですが、人間関係はまさにGive And Takeでなりたっていると思います。要するに、自分が、人に与える物と心をもっているかどうかに関ってくる問題ではないかと思います。 休みが終わってクラスが始まりました。毎日が楽しくてなりません。休みが明けて人との付き合いが変ったような気がします。以前に比べて人と話す時心を自由に開く(変な日本語ですね)ようになったこと、人前で何となくおじおじしないようになったと思います。五ヶ月たってやっと少しキャンパスに慣れてきたのでしょうか。 ピアノと空手を毎日一時間弱やっています。とにかく、外では何も出来ない気温ですから。今日、又寒波がやって来ました。最低が零下26度、最高が零下17度、体感温度は、零下50度。南極と同じだとラジオでは説明していました。 旅行から帰ってしばらく風邪気味でしたが、もう大丈夫です。寒いので大学の建物の間を走り回っています。箱根はいかがでしたか。 ではまた。

(41)1978年1月12日  五郎

餅が速く届いたなあ。アメリカの学生と楽しいライスケーキパーテイ出来て結構だった。初めて、皆さんをもてなすことが出来て良かった。本当に良かった。久しぶりに日本の味に接して里心を出しては困るがね。 正月休みも終わってまた新学期がスタート。お互いに心を新たにして頑張らなくてはね。今日の夕刊に「北米東北部猛吹雪、オハイオ州では14人・イリノイ州では3人の凍死者」の記事。ゲールズバーグも、厳しい寒波に襲われていることだろう。十分注意すること。零下10度以下の寒さの実感がないので、これしか言う言葉がないんだな。 ノックス大学のOffice Of Public Informationからの問い合わせの件だが、朝日イブニングニュース社にも、神奈川新聞社にも掲載されていなかった。 朝日新聞社には、知人の編集委員にたずねてみたところ、 「イブニングニュースの編集長に聞いてみたら、イリノイ州のノックス大学に留学中の日本人ジュンイチロウアダチという学生が、サッカーで大活躍しているという記事を送ってきた。しかし、ボツにした、とのことでした。」と返事があった。 神奈川新聞には、直接電話で問い合わせてみた。編集局の次長は、 「そのような記事は読んでいない。当社は、ローカル色をださなくてはならないので、そのような内容だったら掲載するだろう。」 とのことだった。以上のこと大学の事務局に伝えてもらいたい。大学当局には、両親が大変感謝していたことも伝えてもらいたい。 「我が家だけは、心置きなく食べても、特別感謝しないでもよいところ」 と気が付いたことは、大発見だね。ノーベル賞がもらえるよ。外国暮らしの賜だね。留学もいいもんだ。しかし、「親しき中にも礼儀あり」を忘れてはならないぞ。 ではまた。

(42)1978年1月25日 フラタニテイーに入会  淳一郎

地震は大丈夫でしたか。新聞ラジオで「Yokohama」の名前を聞き心配しています。被害はありませんでしたか。カセットが届きました。ありがとう。なかなかよくできた編集です。感心しました。お婆ちゃんの声が懐かしかったです。 一つニュースがあります。アメリカの大学には、たいていフラタニテイ組織というものがあって男だけのクラブを組織し、同じ家に住み、同じTシャツを着るといったものです。アメリカ独特の組織だそうです。週末にパーテイを催すのは大抵このクラブですs。ノックス大学には、6つのフラタニテイーと、幾つかのソロリテイ(女性のクラブ)があります。その中の一つ、FIJIという愛称のクラブに入会しました。正式の名称は「Phi Gamma Delta」と言います。会員は、30数名のユニークな連中ばかりで、スポーツマンが多いのも一つの特徴でしょう。来月から、そのハウスに住むことにあります。 何と言っても、アメリカの学生たちとの共通体験が少ないことが、彼らの話題から取り残される決定的な要因になっていますので、出来るだけ共通体験をもつように心掛けたいと考えています。四年間の留学生活が終わって、「あの時はああだった、こうだった」という会話が出来るようになりたいと考えた結果です。 話変って新学期のこと。毎日一時間ずつピアノと空手の練習を軸に、又、勉強が始まりました。けれども、今学期は先学期ほどクラスが面白くありません。内容は前よりずっと難しくなっているのですが、勉強時間は前より少なくなっています。まあ緊張が解けてきたといえるかも知れません。だれて来たといえるかも知れませんね。ただ一つだけいえることは、何時も判断の基準として、他人より出来たか出来なかったかという物差しをまだ持っていることです。優越感と劣等感の塊のような気がします。日本の教育制度に強く影響を受けていることは確かです。僕が時々躁鬱状態になるのも、優越感をもっているかいないかで決まってくるようです。 カセット、写真を送りたいのですが、面倒くさいというのが実感です。そのうちに送ります。車のメカについて書いた本があったら送ってください。 ではまた。

(43)1978年1月30日 五郎

厳しい寒さが続いているようだが、元気か。零下27度とはどんな寒さか想像できないな。ニューヨークが零下6度、モスクワが零下17度。ゲールズバーグは世界一寒い都市だね。そんなところでわが子が暮らしているのかと思うと、恐ろしくなるよ。大丈夫か。 先日川喜田先生にお会いした。その時、淳一郎からの手紙を見せたところ「何という健康的な手紙だろう。是非、会報に掲載したい」と。例のKJ法の会報だと思う。実際に掲載されたら、会の方から直接送られると思うよ。 川喜田先生からは大変褒められたが今回の手紙は少し気になるなあ。寒さのためか自分から言っているように少々憂鬱状態だね。日本の教育制度の欠点(勉強の出来不出来で人を評価してしまう)は、淳一郎の言うとおりだ。それで、アメリカの大学を選んだわけだから、慣れるまでは苦労が多いと思う。右を見ても左を見ても、今まで知らなかった者たちばかりだからね。しかも、他国。言葉の障害だけでなく、生活習慣、物の見方考え方の違う人ばかりの中で暮らしているのだから。暖かくなれば、スポーツが出来るようになる。「冬来たりなば春遠からじ」というではないか。 その点、フラタニテイーに入会したことは極めて賢明な判断だ。聞いただけでも面白そうだし、必ずいい結果が得られると思う。そのような共同生活を通して日本を理解してもらうこと、と同時にアメリカ及びアメリカ人を理解することだ。日本の文化の発表の機会もあるといいな。そのときには、相談に乗るよ。 録音テープの編集を褒められて、いささか恐縮している。もう少し、構想をたてて編集すると楽しい音の便りが出来るのだが、今回は遠慮した。出発前に加藤さんから「紅白歌合戦や、日本を思い出すような録音したものは送らないほうがいい」と注意されたことがあったのでね。しかし、手紙もいいが、声の便りもいいな。そして、電話もね。こちらから電話をするのは当分我慢することにするよ。 地震のことは大変心配かけたが、何も異常なし。しかし、伊豆地方は大変だった。地滑りで大きな被害が出ている。家は、地盤がいいからね。箱根で富士山をバックに撮った写真を同封する。二人とも元気な様子が分かると思う。友達に日本の富士山を自慢することだな。 では、元気をだして頑張るように。

(44)1978年1月30日 今年のテーマは「東洋的な庭園の要素」 淳一郎

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忙しい毎日が続いています。クラスの方も中間試験が近付いているし、フラタニテイーの仕事が増えたし、張り切っています。一週間後に迫っているパーテイーの準備は全て新人会員の僕ら14人の手に掛かっています。今年のテーマは「東洋的な庭園の要素」ということになっています。僕の経験(家の庭を思い出して)を生かすことになりました。同時に、デザインの係りになったので、少し荷が重いけれどみんなと一緒に何かをすることはこの上なく楽しいことです。 この会は、ちょっと気違いじいみたことをしますが、気風としては、お父さんが話していた旧制中学校時代の悪戯、たとえば、「寒稽古期間中に町の店の看板を取り替えたりするが、寒稽古が終われば又もとのところに返しておく」とかいうのと、よく似ています。限度をわきまえて、計画的にユーモラスに、しかも、真剣に悪戯に取り組むということは、今までの僕の人生になかったことです。ゲールズバーグみたいな小さな町では、みんながそれぞれ楽しみ方を知らないと何も起こらない所です。 先日は、新入会員14人全員が、朝四時に起きて会員の住む家に行き、電源やガスの元栓を切り、ドアをロープで開けられないようにし、最後に爆竹を鳴らしてみんなをたたき起こしました。三時間以内に僕らのうち一人でも捕まれば、ラインアップといって全員一列に並ばされて腕立て伏せなどいろいろ馬鹿なまねをさせられますが、誰も見つからないと彼らが後片つけするという約束です。とにかくジョークの精神が旺盛で、僕らもよい勉強が出来ます。週に一度は非常にまじめなミーテイングがあって、活発に且つ自主的に活動します。会員全員が、兄弟という関係になっていて勉強や個人的な悩みも相談できます。この気違いぶりと楽しさをうまく言えないのが残念です。 横浜の地震はどの程度だったのですか。友達が僕の話を聞いて心配してくれています。電話するまでのことでもないと思ってしませんでしたが、今のところ何の情報もないので心配しています。 今年になってタバコをやめました。体調は良好です。寒いのでひげでも伸ばそうかと考えています。 ではまた。

(45)1978年2月6日 淳一郎

先日お知らせした通り「Fiji」に入会して楽しい有意義な毎日です。大成功だったパーテイにっついては後便でお知らせします。今大変忙しいテスト期間中です。同封の手紙は会から新会員の両親への通知です。簡単に説明します。 「お宅の息子さんがこの度、「Fiji」の会員になりました。Fijiは、キャンパスのホームの役割を果たしています。会員同士は兄弟の関係になります。運営費として年に百ドル掛かります。この会は全米とカナダの大学に105のチャプターがあります。現在の会員数は8000人。この会は、職探しや奨学金の世話もします。是非、ご両親に一度ハウスを訪問していただきたい。」(これは少し無理かな) 今日はこれで、また。

(46)1978年2月7日 五郎

1月30日付けの手紙が今日届いた。今回の内容は、健康的でユーモアに富み、楽しく読むことが出来た。さまざまな苦労やストレスに耐えながら、充実した生活を送っているようで一安心したところだ。 伊豆大地震のことをまだ心配しているようだが、被害はなにもなかったよ。ご安心あれ。しかし、二週間前から門の石の近くから水がにじみ出るようになった。原因は不明だが、あるいは、地震のため下水管が割れたのかもしれない。目下調査依頼中。 2月2日、加藤さん*、篠さん*両人と渋谷で一緒に夕食。そのときの話題を少し。53年度の留学生は男性1人だけ、福井県出身者。石田さんのクラスメイトが自殺未遂。彼女が大変なショックを受けているそうだ。当然だね。足立君から一番まめに手紙が来ること、成績がすばらしいこと、大学から送ってきたサッカーの記事は、ジャパンタイムズの編集長に掲載依頼すること、自動車の免許を取るのはまだ早いこと、今年の夏は帰国してはいけないこと、代わりに、卒業式には両親そろって出席することなどだった。(これはどうかな。3年後の6月だろう。無理だね。) 今の日本は例年のように入学試験のシーズン。大学から中学校の受験について、いろいろな人から難しい相談、みなさん心を痛めているようだ。それに比べたら、私たちは息子の入学試験で何一つ心配しないですんでしまった。そのためか、今こうして手紙のやりとりをしている結果となったのだが。加藤さんの話によると、「一人息子が日本にいなくなって両親が寂しがるだろう。申し訳ないなあ。」と足立君が言っていたそうだが、親子は心の絆で結ばれていて互いにいたわりあい、励まし合い、助け合うことが出来ればどこでくらしていても同じこと。いずれは、別れて暮らすわけだから、早いか遅いかの違いだけだよ。永久にアメリカ暮らしになるわけではないしね。 FIJIのテーマ「日本庭園」の参考になるかと、我が庭の写真を同封した。活用されたい。「楽しみは自分で切り開いて行く」この態度よし。 *加藤幹雄氏。国際文化会館専務理事。*国際文化会館職員。奨学基金スタッフ

(47)1978年2月17日 僕もアーチスト  淳一郎

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ご無沙汰しました。昨日、荷物が届きました。すばらしい写真ですね。我が家の庭の立派さに改めて驚きました。財布の絵も立派です。一つは、僕が使います。残りは友達の誕生祝いのプレゼントに最適です。 ここのところ忙しい日が続きました。中間試験と、パーテイの準備が重なりました。それに、毎晩2,3時まで友達と話し込んでいたので、一時は体が変になったように感じましたが、その努力が報いられたので、現在最高にハッピーです。また週末が来ましたのでね。 パーテイーあ大成功でした。習字の才能?を発揮して畳一畳ぐらいの紙に「書初風」に書いたものを部屋一杯に貼って、東洋的ムードを出しました。何を書いたかというと「努力・世界平和・原爆禁止・一撃必殺ノックス空手同好会・足立淳一郎・くそったれ」の他に、加山雄三の歌を漢詩代わりに書きました。誰も意味が分からないし、下手な字でも感心してみてくれました。僕も一時アーチスト気分でいたものです。 それに、折り紙の本から見付けた能面を折って夜光塗料を塗り、地下のダンスの部屋に飾りました。午後9時から午前4時までのパーテイーの間中、大変な話題になりました。それと、風呂敷も立派な壁飾りになることを発見しました。家から送ってもらった材料を生かすことに全力を出し切った感じです。初めて自分の責任で仕事をやったという感激と、仲間と協力して、一つのことを企画し実行して成功した喜びで一杯です。パーテイーの様子は日本ではとても想像できないと思います。又日本では、このような経験はちょっと出来ないと思います。今回のパーテイーの経験を、今後の社会性・協調性などに生かしていくつもりです。 どうも、今学期はクラスの選択を間違えたようです。ひどく退屈な授業が二つあります。専攻にしたいと思っていた人類学も、物足りなくなってきました。そこで、あらゆる分野に頭をつっこんでみることにしました。手始めに、春からの学期は、焼き物のコースを取る予定です。また、羽根先生の西洋史を取ることになりそうです。先生の授業は定評があります。 野球部にはいって一本足打法を普及させようかなどともくろんでいます。とにかく、良い意味でも悪い意味でも、もくろむことの出来ない日本の学生の枠から脱却して、せいぜいもくろむことにします。2、3年のうちには、ミュージカルにダンサーとして出演することをここに公約します。日本の友達なら、...

(48)1978年2月26日 土の上を歩きたい 淳一郎

二週間ぶりの手紙になりますがお変わりございませんか。ただ今土曜日の夜2月25日の1時過ぎ、この時間にしらふでいるのは珍しいこの頃です。今晩はバスケットボールチームがライバルに勝って大騒ぎ、その後僕は一人でドクター・ジバゴを見ました。良い映画でした。広大なロシアを舞台にして別離・共存の意義を考えさせる映画でした。いろいろな体験を通して悲喜こもごも、今までの生活を振り返ることの多いこの二三週間です。 今週末は、一つもパーテイに行かないで静かに考えています。昨日の晩は、僕と同じ様にパーテイに呼ばれなかった男同士2人が、ひょんなことから僕の部屋で喧嘩になり、中にはいっとめたい慰めたりさせられました。要するに彼らはデートもなければパーテイにも呼ばれなかった週末が我慢できなかったのでしょう。 一般的にいって彼等は、パーテイに行ってばか騒ぎしないと、社交的でない人間に見られるとでも思っているようです。特に、一年生にこの傾向が強いようです。今までの僕がそうでした。もう少し、自分自身に正直で、過大な期待を持つのはよそうと思っています。一言で言えば、早く大人になりたいということでしょうか。 なんだかんだで疲れが出たのか、2,3日前眠たくて眠たくて困りました。朝起きてクラスで居眠り、昼寝して、時々起きて居眠りをするという時期があって、どうなることかと思いましたが、思い切って寝たのがよかったのか元に戻りました。 こちらでも、ロシア風の風邪が大流行。友達の中にも風邪のためクラスについていけなくなってコースを落とす人がいます。また他の大学に移ることを考えている人が結構います。ちょっぴり寂しくなりました。要するに冬のこの寒さのせいです。 一つの救いは、春の兆しが肌に感じられるようになってきたことです。雪国の人が春を待つ気持ちが初めて分かったような気がします。土の上を歩きたい、金があったらフロリダへでも飛んで行きたい、つららが音を立てて溶けていくような暖かい朝は、歌でも歌いたくなるような気がします。思い出すのは、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」です。春が来れば僕も二十歳になります。しっかりせねば。 ではまた。

(49)1978年2月27日  五郎

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2月16日の手紙は、ユーモア小説でも読んでいるようで面白く楽しかった。習字が上手で良かったね。何と言ってもアメリカの学生を感動させたのだから その腕前は大したものだ。加山雄三の歌の漢詩(多分「お嫁においで」だろう)には私も吹き出しながら読みました。周りの人が何も分からないということはいいことか悲しいことか。クラスの選択は難しいね。「失敗は成功の一里塚」という。人のせいにしないことだね。しかし、FIJIへの入会は正当だった。会費のことは心配しないこと。 加藤さんから、次のような報告があった。 「足立君のサッカーでの活躍の記事を、ジャパンタイムズに依頼したが不首尾だった。その代わり、この記事をKJ法の会報に掲載するよう川喜田先生に依頼、OKしてもらった。原稿を川喜田事務所に送ってもらいたい」と。三村先生からすぐに連絡があったので、原稿を送っておいた。加藤さんと川喜田先生は、以前からの親しい間柄とのこと。時々会って食事などしているそうだ。昨日、川喜田先生から電話を頂いた。 「淳一郎君は立派な若者です。将来に希望が持てる青年です。楽しみですね」 と言われていい気分だった。 こちらも二月は寒かったが、昨日あたりから少しずつ春めいてきた。今年は流感が猛威を振るったが二人とも元気で頑張っているよ。昨日は、例の2.26事件があった日、雪降りの特異日だったが、快晴だった。「梅一輪一輪ずつの暖かさ」我が家の庭の梅も一輪ずつ咲いてきた。そちらでは本当に春が待ち遠しいだろうなあ。 青葉台にまた一店、坂を下ったところにスーパーが開店した。23-25日が、オープニングセールで大変な人出。母さんは「安い安い」と言って毎日買い込んでいる。家族はたったの二人だということを忘れているらしい。 ではまた。もうすぐ春だね。 *1川喜田二郎東工大教授。KJ法の発案者。 *2三村修氏。淳一郎中学校時代の恩師。

(50)1978年3月4日 会員の起こし方 淳一郎

期末テストまであと一週間、文字通り勉強する時間になりました。毎晩遅くまでタイプを打つ音が続く時期です。 この一週間、野球部の練習がありました。昨日金曜日に僕を含む4人が首になりました。残念だったけれど仕方ありません。バッテイングが全然駄目なんだから。何といってもここ8年間野球らしいものをやっていないものが、野球の本場の大学の野球部に入ろうとするのですから、少々乱暴です。みんなごつい体で軽々とバットを振りまわす連中ばかりです。コーチも腕の力が足りないと指摘してくれました。 次は陸上部かテニス「LaCross」というホッケーに似たゲーム、ゴルフなどいろいろな部があるので、ゆっくり決めたいと考えています。とにかく、外で遊びたいですね。ナイストライの評価される国です。何でも試すことが出来て気楽です。 例の「Fiji」では、木曜の晩に、僕ともう一人の新会員がハウスに泊まって、翌朝ハウスに住む会員を頼まれた時刻に起こすという仕事をしました。ただ決められた時刻に起こすだけではないのです。起こし方も要求されているのです。「7時45分・枕元にドーナッツとコーヒー、天気予報を英語と日本語で」とか0「8時・歌を歌ってお早うを7ヶ国語で」というように、人によって要求が違うのですから大変です。一番早かったのが5時半だったので、それ以降は全然眠ることが出来ませんんでした。アメリカ人に感心することは僕たち日本人には馬鹿らしくて出来ないようなことでも、一度決心したらまじめにやって自分も楽しむということです。この日も、ある男が「自分のガールフレンドを呼んで起こしてくれ」と注文しました。そこで、前の晩に彼女に電話をして協力を頼みました。彼女は朝食と新聞を持ってきて、彼の顔にシェービングクリームを塗りたくって起こしていました。 会員たる以上は、お互い同士をよく知り合うことが大切です。そこで、会員一人ひとりのホームタウン・専攻・好きな音楽・ニックネームなどを覚えなくてはなりません。家族のことも知っておく必要があります。離婚の多い国のことです。現在両親は別居中なんていうのはざらです。別に隠したがりません。毎日、同じ屋根の下に住むとなるとちょっとしたことで問題がおきやすいので、こういうことは知っておかなくてはならないのです。なにしろ、バラエテイーに富んだ人間の集まりなので、人との付き合い方の練習には最高です。...

(51)1978年3月19日 五郎

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電話ありがとう。用件は電話で話したので特にないが、本年度の仕事が今日で終わったのでほっとしているところだ。しかし私はこれからが大変だ。例によって盆栽の植え替えの仕事が待っている。相手が植物なので、植え替えの時期を外すことができない。一年で一番忙しいときだが、楽しみも大きい。鉢から盆樹を抜く。根の張り合い具体で木の成長状態を判断して、この一年間の育て方を反省し、これからの栽培方法を考える。土をどうするか。肥料は?剪定は?おき場所は?植え方は?その前に鉢はどれにすれば良いか?時には、一本の木を一時間も眺めて考えることもある。最も楽しい時間だ。仕事のうえのストレス解消には最高だ。 盆栽の王様は松。成長が早く、且つ長命で「幸福をマツ」という縁起のよい木。地植えの松は、一年に2メートル以上も伸びる物がある。上へ上へと真っ直ぐに伸びる。太陽を独占するために周囲の雑木を枯らし、下草をはやさない。「まつたけ・はったけ」は育てるが。しかしその力強かった木も、長く風雪に耐えて古木となると、どの木も枝先を斜め下に垂らすようになる。若木の頃と同じ様に枝が上に向いて伸びていると、風雪、特に雪の重さで枝が折れてしまう。上向きになっている針のような葉に雪が積もって、枝が折れるのを防ぐ自衛手段だが、私にはこれが、若木の木の頃の「若気のいたり」を反省した謙虚さの表現のように思われて仕方がない。 「人間は、一方では逃げ場のない運命と争いつつ、他方では、新しい人生を創造するに足る情熱を残すことは出来ない。逃げ場のない人生の嵐がくれば、選ぶべき道は二つに一つだ。頭を下げるか、それとも反抗して吹き折られるかだ。」(カーネギー) 盆栽の植え替えをしながら、このことばを思い出した。500ドル同封する。1ドル133円也。 17日に川喜田先生にお会いした。開口一番「淳一郎くんは良い青年ですねえ」と、何回も繰り返しておられた。照れくさかったが、嬉しかったなあ。淳一郎は、良い青年だと。期待にこたえてもらいたいものだ。 25日、九品仏のおばあさんの喜寿(77歳)の会。お祝いの手紙を出すこと。26-8日、二泊三日おじいさんとおばあさんを箱根にご招待。 経堂の叔父さんの術後の経過は良好、腎臓は摘出しなかった、ご心配なく。 ではまた。

(52)1978年3月21日 「やはり日本人は。。。」 淳一郎

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お元気ですか。シカゴ大学の渡辺さんのところに居候になって3日目です。明日は、ルームメイトの家を訪問します。渡辺さんの英語のうまさに感心します。今晩は、藤本さんと3人でカレーライスを作って食べました。ここの寮にいると、日本人が大勢いるので、居心地が良いような悪いような気分です。中国人やイタリア人など、休み中に帰るところも行くところもない留学生の住むところです。 まだ何か日本人同士の目が気になります。「やっぱり日本人は。。。」の類の考えが頭から離れません。つまり、外国人に対する劣等感と、反対に自分だけは違うのだというプライド過剰を捨てきれません。将来国際的に幅のある人間になりたいという僕にとっては、これは致命的な欠点です。もっとオープンに気楽にいきたいのですが。しかし、8ヶ月前の僕と比べたら、随分気さくになっていることは事実ですが。今の僕がやらなくてはならないことは、勉強よりもアメリカ人の友達と一緒になって何かをやり、彼らの行動を理解すること、そして、僕のことを理解して貰う努力をすることだと思います。要するに、日本にいて出来ないことをすることでなはいかと思います。そのためにも、川喜田先生が言われたように、毎日をフレッシュに楽しみながらやることが一番でしょう。勉強はしないみたいに聞こえるかも知れませんが、そうではありません。判ってもらえるはずです。 先日の電話で経堂の叔父さんの手術の話を聞いて驚きました。その後如何ですか。お父さんは川喜田先生にお会いしたようですね。先生のファンになったのではないでしょうか。先生の奥さんもまた大変魅力的な方です。奥さんの家系は、松本健さん(*)の奥さんと関係があるのだそうです。又川喜田先生と中学時代の恩師岩田先生も何か関係があるようです。 シカゴでは、先日、黒人の友達の家に白人の友人と一緒に泊まりました。彼の家は大変な日本趣味で僕の家よりも日本的です。お金の掛かった装飾品や家具には驚きました。シカゴの高級店・ホテル・レストランなどを見せてもらいました。 今日はシカゴ大学の図書館にもぐりこんで、朝日新聞を1月分まとめ読みしました。 地震が多いようですね。渡辺さんは、地震があるたびに夢を見るそうです。自分でも怖がっていました。彼によると、今年の5月か10月に東京中心にして日光辺りまで沈んでしまうと、ノストラダムスが予言したとか。こちらでは、そ...

(53)1978年3月28日 恵子

25日に卒業式が終わってやっと春休みになりました。ほっとしているところです。その後元気ですか。この間は電話ありがとう。今淳ちゃんから送ってきたカセットを聞き、アルバムを整理したところです。少し太ったようですね。元気そうな写真を声を聞いて安心しました。 朝日新聞の縮刷版が二冊になってしまいましたが一緒に送ります。声の便りの中に味噌汁のことがあったので、インスタントの味噌汁を送ります。インスタント味噌汁にもいろいろな種類があります。希望があったら知らせてください。この味噌汁は一袋150円(今日1ドル225円)です。 昆布の食べ方は、説明どおりにすれば大丈夫ですが、一度にたくさん食べないことです。後からのどが渇きますから注意することです。また袋は開封すると湿気てしまいますから、缶等にいれておくと良いのですが。26日から28日まで九品仏のおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に箱根に行ってきました。二人とも大変喜んでくれました。写真も同封しました。これは、例のカメラ用でぼつぼつなくなのではないかと思って入れておきました。写真のネガも入れました。好きなものだけ焼き増ししてください。友達にあげたいものもあるでしょうから。良い友達が増えて楽しそうで何よりです。 30日に成田新東京国際空港が開港の予定でしたが、開港反対過激派に管制塔が破壊されて開港が延期になりました。困ったことです。国際的に信用を落としてしまいました。これからどうなるのでしょうか。 では体に気をつけて頑張ってください。 先日箱根に行ったときの写真を同封します。

(54)1978年4月5日 日本と外国を結ぶダイナミックな人間 淳一郎

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最高の気候になりました。浮き浮きしています。お金と本が届きました。先学期の成績は数学がA、人類学・英語・ピアノがBでした。予想以上に良かったので喜んでいます。今学期は、西洋史と数学と焼き物(陶芸)の3つです。西洋史は羽根先生のクラスです。本をたくさん読まなくてはならないので大変です。焼き物のクラスでは、初めて「ろくろ」を使いました。器の形にはほど遠いものしかできません。難しいものです。イライラしてくるのでその後は必ず走ることにしています。 今、ゲールズバーグのサッカーチームに所属しています。毎週日曜日に試合があります。この夏は、この町で働くことにしたので、夏の間もこのチームで試合が出来ると思います。この町の新聞社で働いている友達に、仕事を見つけてくれるように頼んであります。大学の外でのアルバイト許可申請をしました。許可が下りなかったら、キャンパスでペンキ塗りでもやるしかないかな。 現在週15時間食堂で働いています。皿洗いは余り良い仕事ではないけれど、しようがありません。町のおばさん連中と一緒です。1時間2ドル5セント。 暖かくなったので、芝生に寝転がって陽に当たったり、本を読んだりする人、陸上・野球・ソフトボール・テニス・ホッケーなどさまざまなスポーツをする人でキャンパスは生き返っています。 休みの間にたくさん手紙を書いたので、今毎日誰かから返事がきて楽しいです。昨日国際文化会館から新しい名簿が届きました。みなさん立派な仕事をしておられますね。僕は一体何をやるようになるのでしょう。今のところは、大学生活を楽しんでいるだけです。とにかく、いろいろな経験をつむ事が一番の勉強だと信じています。卒業後のことなど全く白紙です。専攻もまだはっきりしていません。何でもやってみようとは言ったものの、4年間で取れるコースは限られています。今考えているものは、人類学・経済学を中心に数学・特に統計・コンピューターの技術を身につけスペイン語かフランス語を使えるようになること。それから、今の大学生活の経験を下地に、日本と海外を結ぶようなダイナミックな人間になりたい等と、少しも具体性のない小学生のようなことを言っている僕です。 2週間後で20歳です。ではまた。

(55)1978年4月16日 五郎

20歳の誕生日おめでとう。日本にいたら、今年は成人式のお祝い、何かプレゼントと考えていたが間に合わなかった。御免。写真をみても手紙を読んでも考え深い立派な成人になったな。ありがたいことだ。渡米して早くも9ヶ月経過、四年間なんてすぐだね。今後の進路はどうするか。夢は大きいほうがよい。せっかくアメリカの大学で勉強をはじめたのだから、この経験を生かすことだね。どのような生かし方をしたら良いかは、じっくり考えることだ。これからの日本を考えると、どうしても諸外国との提携連帯・協調・共存が必要。自国の利益のみを考えることは絶対に許されない。したがって、国際社会の一員として、人を動かし、組織を動かし、国を動かして、世界平和人類の繁栄のために貢献できるような仕事をしてもらいたいものだ。「国連」で働くことも一つの方法だ。研究者・学者なども考えられるね。または、企業経営者。 自動車の購入、もう少し待ったらどうかな。アメリカ社会で車のない生活がいかに不便であるかわかるのだが。どうしてもというのなら、200ドルぐらいの中古車はよしたほうがよい。修理代の方が高くなるよ。「安物買いの銭失い」の諺がある。「安かろう悪かろう」の諺もあるよ。 経堂の叔父さんの術後の経過は順調、5月から出勤するそうだ。お婆ちゃんの足は少しよくなったそうだ。箱根の温泉療養が効いてきたのだったら良いのだが。 日本は春爛漫、桜はまだ咲いている。パッと咲いてパッと散るのが桜なのだが、今年の桜は、散惜しんでいるいるようだ。この春をアメリカに送りたいとお母さん。そちらの春の方がすばらしいのではないかとお父さん。 今度の小包みで、写真とプレゼントを贈る予定だ。ご自愛あれ。

(56)1978年4月23日 恵子

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やっと春が訪れました。我が家の庭も色とりどり、白いドウダン、ピンクのカイドウ、シバザクラ、黄色いスオウ、赤いツツジ、緑の芝、それに石、写生したくなるような風景です。 その後変わりありませんか。気候も良くなったので、スポーツが出来るようになり思い切り春を満喫していることでしょう。昨日は20歳の誕生日、おめでとう。 その誕生日に届くようにと用意していたお祝いのプレゼントが遅くなってしまいました。小さい時に、兜は買ってあげなかったと思います。組み立て方は、箱の中の紙にかいてありますので、上手に組み立ててください。箱の上に飾るのですよ。お祝いのインスタントのお赤飯と澄まし汁の袋も入れておきました。熱いお湯の中に袋のままいれて十分ぐらい煮ると、ふんわりとしたお赤飯が出来ます。また外国人の好むような模様の風呂敷も入れておきました。何かに役立ててください。1枚千円です。 今日は、日曜日。午前中は郵便局があいているので多しそぎで小包みの荷作りをしていたところ、関君の家が火事になって大騒ぎ。火事場は野次馬でいっぱい。類焼はなかったので何よりでした。原因は分かりませんが、お互い十分気をつけなくてはね。火事騒ぎで小包みの発送が遅れてしまいました。 小さい頃の写真を入れておきました。他にほしいものがあったら言って下さい。ではお元気でね。

(57)1978年5月2日 16時間のダンスマラソン 淳一郎

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毎日楽しいことばかりで、青春映画の主人公の役を演じているような気がします。明後日、数学の中間テストが控えています。最近の傾向として、いろいろな出来事を手紙で説明するのが億劫なこと、手紙を書く時間を作ろうとしないこと、英語で生活している大学の日々の体験を日本語で説明することは、面倒くさいし、事実を伝えることは困難のような気がします。 この週末は、いろんなことがありました。金曜日の夜は「Dance Marathon」といって午後8時から土曜日の正午まで、16時間踊り続けるというコンテストがありました。僕は色々な事情で正式には参加しませんでしたが、日本では体験できない楽しい一夜でした。 土曜日は友達の家に呼ばれて日本食をご馳走になりました。アメリカでも有数の農耕機械メーカーの会長の息子が、ノックス大学に在学しています。大の日本びいきで、超大物夫婦です。ヤンマーとの関係から日本通になったそうです。京都から直接取り寄せたという畳の部屋で、高級な器に盛った日本食をご馳走になりました。奥さんは、馬術のコーチだそうで、日本のオリンピックチームは、メキシコ大会・モントリオール大会のとき、彼女に予算から技術指導までお世話になったそうです。ニクソン・アイゼンハワー大統領をはじめ、政界にも知人が多く何年か前には、僕たちがご馳走になったその家で、フランス大使や中国の首相の歓迎パーテイーがあったそうです。話していても僕にも大物だと分かる人物です。酒を酌み交わしながらいろんな話が出来たことは貴重な体験でした。これからも何かとお世話になることがあるかも知れません。彼のモットーは、経済的保守、社会的革新だそうです。彼のモットーを聞き出せただけでも、僕の英語での取材力おたいしたものだといってほしいところです。 最近話しをするのが楽しくなってきました。月曜日もまたまた大変でした。朝五時、パーテイーを知らせる鐘がなりました。事前に誰にも知らせてありませんでした。そこで、クラスは全部キャンセルして、一日中、ダンス・ムービー・ピクニック・ゲーム・花火・コンサートパーテイになったのです。最高に楽しい一日でした。今日は、みんな二日酔いの寝不足気味でした。20時間も酔っ払い気分だったのは初めての体験でした。 5月1日から夏時間に変りました。夜8時でもまだ外で遊べます。あと3日でまた週末になります。遊んでばかりいる...

(58)1978年5月20日 アルバイトはトウモロコシ農場 淳一郎

今週末は「Parents Weekend」といって多くの親たちが大学を訪れています。すばらしい天気で芝の緑が燃えるように輝いています。クラス・クラブ・仕事で忙しくて手紙がかけなくて申し訳ありません。元気でやっております。 後二週間余りで夏休みになります。夏の仕事が見つかりました。ゲールズバーグの近くのトウモロコシ農場で、10週間働くことになりました。7月中旬の種蒔きの時期を中心に、高校生を現場で監督したり、食事の世話をしたりする仕事っです。僕にとっては、なかなかいい経験になると期待しています。1時間4ドルです。忙しい時は、週7日、一日10時間も働かなくてはならないとか。体が第一の仕事です。 この仕事もなかなか競争が激しくて、よく雇ってくれたと思っています。面接の時自分を売り込むための作り話をしたのが良かったのか、クラブのコネがきたのか、いずれにしてもやれやれといったところです。 6月いっぱいは、「Fiji House」に住みます。1週間10ドルぐらいかかります。7-8月は教授の家の留守番ということで、ただで友達と2人で住むことになります。焼き物のクラスは非常に楽しく、かつ有益でした。先生は韓国人で、授業は何となく日本の授業を思い出させる論理の展開で、僕を引っ張ってくれました。今、美術を専攻しようかと考えるようになりました。続けて焼き物を取りたいのですが、夏は忙しくなるしs、秋はまた必須のクラスがあるのでなかなか思うようにいきません。 夏休み中は、できるだけ沢山の本を読もうと思っています。雑誌を読むとどうしても視野が狭くなるようだし、情報に流されがちになります。異国の片田舎で生活していることを利用して、日本や世界で起こっていることをしばらく忘れて、仙人みたいな生活をしてみたいと思っています。次の本は多分岩波文庫に出ていると思います。送ってください。ダンテの神曲・トマスモアのユートピア・マキャベリの君主論。その他古典的と思われる本を適当に見計らって送ってください。 ところで、この秋はアルバイトと勉強をかねて「日本語」を教えることになりそうです。今のところ、2,3人希望者がありますので、羽根先生とも相談しているところです。来年の夏は、友達を連れて帰るかも知れません。その時はよろしく。 ではまた。

(59)1978年5月28日 五郎

5月20日付けの手紙、25日受領。元気でやっていることが良くわかって安心した。4月25日に出した小包みはまだ着いていないようだね。中身は5月人形や写真だ。この夏のアルバイトはすごいな。1時間4ドルか。聞いただけでも厳しい仕事ということが分かるよ。大丈夫かな。10週間働いたら大変な金額になるなあ。面接の時、どんなはったりを言ったのか知りたいものだ。男は時には思い切ったはったりが必要なことがある。人生の処世術と心得ておくこと。 古典を読むことは大切。注文の他に何冊か送るつもりだ。中国の古典も必要だな。東洋人だからね。これから計画的に送ることにするが、読む時間があるかな。 来年の夏の帰国OK。友達を連れてくることも。日本的・足立風の歓迎をすることにするか。 先日、三菱商事の「時差は金なり」という本を読んで、実業界でこのような仕事をすることもなかなかダイナミックでやりがいがあるなあと思った。戦前、アメリカでは「日本の軍隊に勝つことよりも、まず、住友商事に勝つことだ」と言われていたとか。日本の商社は強かった。参考までに。

(60)1978年5月28日 恵子

東京はこのところ最高気温が27、8度と夏のような日が続いています。今日はお父さんの学校、先週の日曜日はお母さんの学校の運動会でした。二人とも日焼けした顔で話し合っています。 元気ですごしていることが分かって安心しました。 この前送った小包みがまだ届いていないそうですが、その中には赤飯が入っていたのです。こんなに時間が掛かっていは食べられるかどうか判りません。注意してください。もっともこの手紙が届く頃には、赤飯もついているでしょうが。 昨年、浴衣の希望がありましたので一揃い送ります。夏休み中の手紙などは今までどおり寮の方に送って良いんですか。

(61)1978年6月6日 最優秀日本人選手に 淳一郎

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アメリカに来て初めて「ほたる」がピカピカ光りながら飛んでいるのを見ました。明日で最後のテストが終わります。これで、僕のアメリカでの最初の一年も終わることになります。 先日の手紙を読んでびっくりしたのですが、五月人形などの小包みは、ずっと以前に届いています。知らせが遅くなって申し訳ありません。 テストが終わったら、2、3日シカゴの友達の家で遊んでから、卒業式には帰って来たいと思っています。河崎君のご両親も来られるようです。彼は、この夏を日本とヨーロッパで過ごし、9月から「University Of Illinois Graduate School」へ進学すsるそうです。 この夏は「Fiji House」に住みます。6時から仕事があるので厳しい毎日です。体を鍛えて秋のサッカーに備えなければなりません。本も読みたいし忙しい夏になりそうです。 ただ今、南米アルゼンチンでは、ワールドカップサッカー選手権がおこなわれています。日本ではTV中継があるでしょうが、アメリカでは誰も話題にしません。シカゴにいれば数試合はテレビで見られるでしょうが、ここは残念ながら陸の孤島です。田舎に居ることが悔しくてたまりません。 今学期にとった羽根先生の西洋史は、今までのうちで一番きついクラスでした。特にファイナルのときはやるtこがいっぱいあるし、分かっていても英語で表現できないもどかしさで参りました。 先日はクラブの夕食会がありました。この1年間スポーツ部に参加した連中が一同に集まりました。こちらの習慣なのでしょうか、一年の終わりには貢献者には必ず何らかの賞を贈ります。それぞれのチームごとに最優秀選手、最も上達した選手などが選ばれます。僕も最優秀日本人選手ということでした。当たり前のことですが。 日本では夏休みはまだですね。皆さんによろしく。ではまた。

(62)1978年6月24日 五郎

テストが終わってほっと一息、サッカーのワールドカップテレビ中継の観戦といきたいところだろうが、残念だね。サッカー最優秀日本人選手受賞は傑作だ。おめでとう。 6月18日の日曜日に加藤さんご一家が家に遊びに来られた。「さつき」を見ながら一緒に夕食。淳一郎を大変褒めていた。奥さんからは、どんな家庭教育をしたのかと聞かれて面食らったよ。強いて言えば、家庭教育らしい家庭教育をしなかったのが我が家の家庭教育だったかな。(と言えば、奇弁になるね。) 経堂の叔父さんは元気になって、毎日出勤しているよ。心配は無用。叔父さんは、「淳一郎は、マスコミ関係・ジャーナリストがいいのではないか」と検討課題だね。柿の木坂の叔父さんは、大蔵省の国際金融局長になった。後は次官だ。お祝いの手紙を書くこと。 アルバイトは大変な仕事のようだな。高校生の扱い方が難しいだろう。しかし、この経験は貴重な体験になるはずだ。このアルバイトについては、加藤さんも、経堂の叔父さんも「淳一郎らしい仕事だ」と言っていたよ。淳一郎らしいとは、どういうことかな。褒めていたことは事実だ。 また大地震があった。今回は仙台地方だ。6月10日、死者24人。近頃地震が多い。心配だ。 日本は、目下梅雨の真っ只中。淳一郎が嫌いだったあじさいが満開。我が家のあじさいは、今年掘り上げて捨てるつもりだ。狭い庭には場所を取り過ぎるよ。庭石だけは、存分に雨を吸って苔が付いてきた。 家にもトウモロコシを植えたよ。アルバイトにこないか。アメリカの高校生を連れてね。ただし時給は1ドル。 ではまた。

(63)1978年6月27日 高校生たちの監督 淳一郎

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インドネシアの友達から料理を習う クリスマスの頃、こちらの気温を度々お知らせしたことがありましたが、また、その機会が訪れました。まだ6月なのに華氏で90度を超えることが度々あります。摂氏でいえば33度ぐらいですが、時には36度ぐらいになることもあります。雷が鳴り、竜巻で家が飛ばされるなど、気候は大変厳しいところです。それに大変蒸し暑いところです。 トウモロコシは、今人の腰あたりまで伸びてきて、だんだん仕事がきつくなってきました。高校生を監督する仕事が始まりました。僕の言うことを聞かない時は、すぐに首にします。中には、12,3歳の子供もいます。勿論違法です。女の子も大勢来ています。よく頑張っているのには感心します。僕も真っ黒に日焼けしてしまいました。 サッカーのワールドカップは、とうとう一試合も見られませんでした。残念です。サッカーマガジンの最近号を送ってくれませんか。来月あたりワールドカップの特集号が発行されると思います。 昨晩は、羽根先生の家で夕食をご馳走になりました。羽根先生は11月末から4週間ほどノックス卒業生のおばさんたちのツアーガイドとして、日本・香港に行きます。12月中旬から2週間ほど東京に滞在することになっています。先生には、「是非、僕の家によってください」とお願いしておきました。加藤さんとも打ち合わせて機会を作ってください。 今学期の成績をお知らせしたでしょうか。数学A、西洋史C、焼き物Cでした。思ったとおりの成績でした。今秋は、もう一つの数学、スペイン語、それに必須のクラスを取ることになっています。必須のクラスは、米人学生でもきついクラスで有名です。本をどっさり読まなくてはならないし、ペーパーは一杯書かなくてはならないそうです。いったいどうなることでしょうか。 7月4日は、アメリカ独立記念日です。お母さんの誕生日でしたね。おめでとうございます。お父さんの誕生日(8月9日でしたね)と一緒にして、何かプレゼントしたいと思っていますが、もう少し待ってください。 アルバイトの心配とは裏腹に、この夏は退屈することのない、いや、その暇もない充実した思いでの夏になりそうです。仕事の経験だけではなく、自炊生活、友達との共同生活などです。 蛍が、嘘のようにたくさん飛び交っています。 ではまた。

(64)1978年7月10日 よく働くアメリカの子供たち 淳一郎

アルバイトも、5週目になりました。来週からは、トウモロコシの穂を取り除く作業が始まります。この2週間ぐらいが一番忙しい時期だそうで、休みはありません。時には朝四時から夜まで働く日もあります。14-16歳の子供たちが、200人以上並ぶとなかなか壮観です。トウモロコシは僕の背より高いので、彼らを監督するのは大変です。毎日5-6人が首になります。僕たちが首にするのです。しかし、彼らと働くと楽しいことがあります。昼休みはランチを交換したり弁当を作ってきてくれないかと頼むと、翌日はちゃんと持ってきてくれます。 今朝、仕事に行く途中車のタイヤがパンクしてしまいました。勿論、僕はどうしてタイヤを交換して良いか分かりません。面目丸つぶれの感があったのですが、さすがに男の子たちはよく心得ています。近くの農場へ行って道具を借りてきてさっさと交換してしまいました。タイヤの交換に限らずこちらの子供は車の修理、家のペンキ塗りなど子供の頃からやっているのでよく知っています。 先週「FIJI House」から教授の家に引っ越しました。今今年ノックスを卒業したインドネシア人と一緒に住んでいます。さすがに4年間の経験のためか、彼は買物のこつから、電機・自転車(僕らの唯一の交通機関)の修理まで一人で上手にやってくれます。料理やペンキ塗りが得意で、教授連の家から引っ張りだこです。ただただ感心するばかりです。物理専攻とあってメカには詳しく、生活のこつも心得ている感心な男です。彼をみているとTVぐらいは直せないと、よき夫、父にはなれないのでは。。。などと気を揉んでいる毎日です。何も知らない、何も出来ない自分を情けなく思う時がしばしばあります。この夏は、なんとしても車の免許だけは取ろうと思います。車の運転ができないのでは仕事の範囲・種類が限られてします国ですから。 卒業後、婚約したり結婚したりする友達が続出、僕にとっては、ただ驚くばかりです。毎日走っているので、体重は一年前に戻りました。

(65)1978年7月24日 いろいろなアメリカの子供たち 淳一郎

仕事は、目下山を迎えて、きついけれどもやりがいのある毎日です。1週間休みなし。1日11-13時間の労働、200人から250人の子供たち。今日初めてトラクターを運転しました。週末は、4時起床。この土日で100ドル稼ぎました。 トウモロコシは、僕の背丈よりも高く、風は通らないし、虫には噛まれて痒いし、精神的には参ってしまうことがあります。そういう時に限って、子供達も仕事をさぼるので首にしたり、怒鳴ったりしなくてはなりません。これだけの子供が集まっていると、いろんな子供がいます。 黒人、ベトナム人、頭の少し足りない子、警察に捕まってばかりいる子など、少しも目が離せません。加えて、町と町の間に敵対意識みたいのがあって毎日喧嘩が耐えません。いつも仕事の終わった後、喧嘩の相談をしています。 しかし、楽しいこともあります。僕たち15人のリーダー対子供達という関係ではなく、一つのチームというムードが出来てきました。仕事が終わって帰るときのきたないハエだらけのバスの中は、想像も出来ないほど楽しいものです。 バスが泥に埋まって動けなくなればみんなで押しあげたり、どのくらいスピードが出るか試したりします。ベトナム人の中には、英語の話せない40代のおじさんがいます。子供と同じように扱うわけにもいきません。困惑することもあります。いわゆるベトナム難民です。日本で2ヶ月過ごしてからこちらに渡ってきたようです。 このアルバイトも半分終わりました。後4週間たらずで終わりになります。そこで、10日間ほどケンタッキー・ワシントン・ニューヨークなど友達を訪ねながら見てきたいと思っています。去年お世話になった人々にも会いたいし シカゴの友達にも会いたいし。9月3日からサッカーの練習が始まるので クラスの始まる前に帰ってこなくてはなりません。サッカーのことを考えると疲れもいっぺんに消えてしまいます。渡米1年目の夏は、汗をかきながらトウモロコシ畑の上で迎えています。ではまた。 PS畑や道の上は田舎の大分の匂いがします。

(66)1978年7月25日 五郎

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やっと夏休みになった。ゲールズバーグは想像以上の暑さのようだね。日本も暑い。7月の梅雨明け以来(今年の梅雨明けは例年よりも10日も早い)連日熱帯夜が続き7月の最高記録となった。青葉台も人が増えて夜の気温が下がらなくなった。 猛暑の中のアルバイトは大変だね。手紙を読んでいたら、昔の田の草取りを思い出した。きつかったなあ。 「炎天下の田圃の水は50度ぐらい。田圃の泥の匂いが臭い。汗が額を流れて目に入ってしみるが、手が泥だらけで拭くことができない。稲が首や顔や手足を引っかく。そして、汗がしみる。腰が痛くても休めない。夕方になり日が落ちるとやっと涼しくなるが、今度はブヨの襲撃、噛まれた後は真っ赤にはれて痒くて痒くてたまらない。」 苦しい農作業だった。親子で同じような経験をするというのも、不思議だね。その作業に耐えて元気にやっているとのことで安心した。 先日22日小包み(浴衣・帯・下駄)を発送。友達の注文の品物だ。遅くなったことをお詫びしてもらいたい。全部で1500円。プレゼントしても良いのではないかな。 7月18日の夜、国際文化会館で本年度の歓送迎会があったので出席した。今年の留学生は坪田敏朗くん1人。留学先はPennsilvania、Swarthmore Collegeとか。23日に出発した。早いものだなあ。もう一年たったのだから。あと3年か。4年なんてすぐに終わるよ。河崎くんにも会えたのでお礼を言っておいた。 羽根先生来日の件、岡田さんと田中さんと相談。ノックス大学のOB・父母で歓迎会をもつことになるらしい。 「足立君の家まで行かれる時間はないのではないかな」と岡田さん。 まだ何も決まっていないそうだ。 以下後便。

(67)1978年8月1日 ボーナスはセントルイス旅行 淳一郎

小包みが届きました。サッカーマガジンありがとう。円の為替レートはあがる一方ですね。全く驚くばかりです。おかげでインフレにもならず僕にとっては有難いです。車を買ってしまいました。850ドルの中古品ですが、よく走ります。車に詳しい友達に見てもらってから決断しました。ついに今までの中で一番高い買物をしてしまいました。 この夏これまで1400ドルほど稼ぎました。一昨日まで、17日連続、毎日13時間近い労働で、300人近い子供を相手にした仕事の山も終わり、残り三週間は、いろんな雑用やトラクターの運転などです。1週間90時間近い仕事というのもさることながら、アメリカ人に混じって1人前に仕事をした経験は、何よりも貴重な自信となりました。 僕たちの働きぶりは、きわめて成功だったようで、来年の夏の仕事も保証されました。この週末は、ボーナスとしてセントルイスへ1泊2日の招待旅行に出かけます。 お父さんは51歳の誕生日を迎えますね。おめでとう。 最近手紙を書くたびに漢字を忘れていることに気がつきます。これからの1年間も完全に日本語とは離れることになります。もっともっと忘れることでしょうね。別に心配することではないと思いますが。 今は8月末の休みをどうするか。秋の学期後は何をするか考えています。それに、サッカーシーズンの到来を待ちわびています。もしかしたら、車で遠くニューヨークまで行くかも知れません。ブラウンにも寄ってみたいと思っています。 明日の金曜日の晩は、子供達と豚の丸焼きパーテイーです。子供が150人集まります。夏祭りというか収穫祭というか、恒例の年中行事だそうです。そして、土曜日はKnox County Fairというのがあります。竹田の夏祭りの規模を小さくしたようなものです。トラクターや牛、馬、野菜などの品評会があります。いつかお父さんが話していた「フートーラン・マーカンハクサイ」のことが思い出されます。日本もアメリカも田舎の生活はにたようなものがあります。気さくで、陽気で、酒好きで、互いにみんな知り尽くしているというのも、お父さんの話していた九州の竹田と同じです。こういう生活が、アメリカに来て初めて出来るというのも不思議です。 ではまた。 *1大分県竹田市のこと。父の郷里 *2「太らない・巻かない白菜」ということをジョークと方言で。

(68)1978年8月2日 恵子

夏とはいえ本当に暑い日が続いています。今日は台風7号のため気温が少し下がりました。雨が降ったりやんだりしていますが、台風はどうやらそれたようで、また暑い日差しがさしてきました。 すっかりご無沙汰しましたが、元気ですか。トウモロコシ畑のアルバイトは、もうそろそろ終わるのではないでしょうか。庭の草取りもしなかった人がアメリカで畑仕事、大変だったでしょうね。でもいい経験でした。炎天下の仕事なので、日射病にでもなったらと心配しています。 今年は梅雨らしい梅雨がなく7月始めから30度を越す真夏日が続き、夏休み前からのびてしまいそうでした。7月21日から夏休みになりましたが、25日から27日は日光林間学園、30日はソフトボールの試合、そして、プール当番と続き、今日からやっと夏休みになったわけです。 先だって送った浴衣は、外国人用に仕立てたものです。友達に上げる時、他の衣類、特に白いものと一緒に洗わないように注意するように伝えてください。浴衣をそめてある紺の色が出て、他の衣類についてしまいます。浴衣と帯そして下駄、これで一揃いです。あなたも下駄が欲しかったら言ってください。送ります。 先日、河崎君に会いました。「足立君は元気にやっていますよ」と言われてほっとしているところです。河崎君は、またアメリカの大学院に行かれるそうですね。8月中旬に日本を発つそうです。 そうそう去年の今日、日本を出発したわけですね。ちょうど1年経ちました。このところ円高のニュースが新聞をにぎあわしています。今日は187円だそうです。こちらからの送金はいいのですが、外国人は困っているようです。都立大の叔父さんは、今大蔵省の国際金融局長ですが、この円高で大変のようです。アメリカ・ヨーロッパで開かれる国際会議に毎回出かけています。 そういえば、お金のほうはどうですか。アルバイトの収入でやっていけますか。昨日、テレビでアメリカのインフレについて報道していましたがどうですか。 8月4日から6日まで「青葉祭り」です。また庭から花火見物ができるでしょう。花火といえば、今年は17年ぶりに隅田川の花火大会がありました。テレビで放映していました。恒例の甲子園の高校野球大会は7日から始まります。神奈川県代表は横浜高校ですが、翠嵐高校もなかなか健闘し、準々決勝まで勝ち進みました。昨日から、78年ワールドカップサッカー大会が放映され...

(69)1978年8月19日 五郎

厳しいアルバイトご苦労さん。大変な労働だったようだが、得たものはドルだけではなかったようだね。そのドルで自動車を購入したとか、言うまでもないことだが、事故を起こさないように十分注意すること。(事故を起こしたくて事故を起こす人はいないのだが)経堂の親戚の朝倉さんの一人息子が、カリフォルニアで自動車事故で死亡した。アメリカ留学前に1ヶ月間下見旅行中の事故だった。 当方2人、元気で夏休みを過ごしている。今年の夏は格別の暑さ続きで、昨日まで連続27日30度以上の真夏日。夜になっても25度以上の熱帯夜が続いているので睡眠不足でグロッキー。クーラーが売れすぎてメーカーにも在庫なし。クーラーのコマーシャルはどこの局でもやっていない。その猛暑酷暑にも負けず食欲旺盛、もっと食べたいのだがやっと64キロになったので、我慢、我慢。 円高ドル安が続くが、今の為替レートで日米両国の物価を比べることは妥当ではないのではないか。ドルが安すぎるよ。今夏のアルバイト料1時間800円だが、4ドルの価値と800円の価値はイコールではないと思う。アメリカでは850ドルで中古車が買えても日本では25万円では買えないよ。 自動車の整備はいつでもベストでなくてはいけないよ。 8月9日で51歳になった。お母さんは7月4日で48歳になった。淳一郎は4月22日で20歳。8月15日を迎えるたびに昭和20年、私の19歳当時のことを思い出す。今の淳一郎と同年齢だった。当時の自分のことを考えると、すべて信じて任さなくてはいけないな。今そんな心境だ。 くれぐれも健康に注意すること。 我が家の近況写真同封。

(70)1978年8月20日 淳一郎

アルバイトが終わって後2週間の休みをどうするかと考えているところです。今一緒に住んでいる友達が、今度ケンタッキーの大学院に行くことになったので、僕もついていくことになりました。ところが連絡が遅れたので何日になるか判らないので、計画が立てられず困っています。シカゴの友達のところにも行きたいのですが。 2日前から車のバッテリー関係の修理中で、頭の痛いところです。河崎さんが14日にやって来ました。1晩泊まりました。翌日僕の車で引っ越して行きました。往復6時間のドライブでしたが平気だったのでこの車に少し自信を持ったのですが、今度はバッテリーの故障です。友達にいろいろお世話になっています。友達というのは本当にありがたいものだとつくつく思っています。 後10日で教授が帰ってきます。そろそろ家のの内外の掃除をしなくてはなりません。芝刈り、水遣り、片付けなどの仕事があります。僕は近頃細かいことに気付かなくなったような気がします。時には「人の物」と「自分の物」との区別観念を失うことがあって、ルームメイトに指摘されることがあります。彼は4年間1度もインドネシアの家に帰らず、毎年夏は教授の家の留守番をしていた実績があるだけに、よく気が付きます。買物の仕方も心得たものです。その彼と一緒に生活できたことは大変教えられることがあり楽しかったです。 トウモロコシ畑の仕事が終わってから、2週間ペンキ塗りや牛追い、また山にやいって樵の仕事もしました。いろいろと新しい体験をしました。アルバイトで1700ドルほど稼ぎましたが、車を買ったり、保険料を支払ったりしたので、あまり貯金はできませんでした。来年の夏は日本に帰って、強くなった円を稼いで円高の利益に預かりたいと思っています。通貨問題は僕にとっても身近な問題です。 羽根先生率いる日本旅行団も、円の値上がりでキャンセルになるかもしれないとのこと。日本製の車は、現在日本国内よりもこちらの方が1500ドル近く安いという話です。海外旅行には最高の時期でしょうね。 ではまた。

(71)1978年8月29日すばらしいケンタッキーの自然 淳一郎

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今シカゴの友達の家に来ています。ケンタッキーまでのドライブも無事終わりました。車はトラブルもなくよく走りました。12時間のドライブは大変だったけれど、楽しくもありました。友達がケンタッキー大学院に入学するので引越しを手伝ったのです。 シカゴで友達に会って気が付いたのですが、みんな夏休み中のアルバイトが終わりに近付いて、学校が始まるのが待ち遠しい感じです。今日は今泊まっている友達の仕事を手伝いました。彼はイリノイ州の保健所のキャンパーを運転しています。1歳から6歳までの子供の血液検査をして回るのです。鉛害の検査です。住宅街に乗りこんでアルバイトの子供を駆使して各戸を回り、親を説得して無料検査するのです。僕もパンフレットをもって1時間ほど1軒1軒回ってみました。戸別訪問という押し売りは日本でもやったことがないのですが、英語でするほうが「てれ」がなくてやりやすいです。友達は18歳にしてボスであり、時給6ドル以上貰っています。僕のやったアルバイに比べて楽で楽しい仕事です。うまくやったものだと思います。 ケンタッキーには、すばらしい自然があります。実際山らしい山をみたのは、アメリカにきてから今回が初めてです。ミッドウエストというところは、とにかく真平らなところで、トウモロコシ畑しかありません。ケンタッキーはまた馬でも有名なところです。世界最大の洞窟にも行ってきました。山口県の秋吉台に行ったとき、この洞窟のことを聞いたので是非見たいと思っていた所です。 来年の夏は日本でどんな仕事をしようかと今から考えています。 まずは家の外装と、僕の部屋のペンキ塗りをしなくてはと思っています。アメリカ人は家のペンキ塗りや水道の配管などはたいてい自分でやります。僕もこの夏農場の建物を塗ったので要領を覚えました。 車はしょっちゅう故障するので修理もうまくなりました。 ではまた。

(72)1978年9月23日 恵子

暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。こちらもすっかり秋らしくなり、とてもしのぎ易くなりました。今日は彼岸のお中日です。ご無沙汰してしまいましたが、その後元気ですか。サッカーができるようになり快調でしょうね。先日大学からスポーツニュースの手紙が届きました。淳ちゃんの名前もでていました。 今年の夏は本当に暑く、さすがの私もグロッキー、でも二学期が始まってからは、頑張っています。家の中が少し変りました。ダイニングキッチンにあった大型の湯沸かし器を取り外しました。台所の外にガスのボイラーを付けました。風呂がとれも早く沸きます。冬はどうでしょうか。電機も50アンペアに直しました。もうヒューズが切れることはないでしょう。 秋の味覚、梨・葡萄・栗などが出回っています。そちらにはどんな果物がありますか。この間から、車のことが気になっています。今日も木暮くんのお母さんが話していました。慶応の友達が車を電柱にぶつけて片目が失明したそうです。いやな話です。くれぐれも気をつけてください。 日本は年々就職が厳しくなってきたそうです。来年卒業の人たちはもう会社訪問が始まっているそうです。反対に大学入試共通テストのことが毎日のように新聞にでています。 明日は遠足で大山に登ります。あらら、もう午前2時。明日のことがあるのでこのへんでやめます。 九品仏のおじいさん・おばあさんたちは元気です。そのうち、あの家を壊して美智子おばちゃん一家と一緒に住むようになるかも知れません。 ではくれぐれも体に気をつけて、勉強にスポーツに頑張ってください。遅くなりましたが小包みを送ります。中身は何かしら。

(73)1978年9月23日 五郎

手紙を書く時間がなかったわけじゃないが、書きたいニュースがなかったのでごぶさたしてしまった。 今年の夏の暑さにはまいった。日本中の各会社のエアコンが在庫ゼロ、コマーシャルは中止。我が家は早く手を打ったので、二階の二部屋にも設置することができた。しかし、今はもうエアコンも必要なし、快適な気候になった。そちらはそろそろ涼しさを通り越して朝夕は暖房が欲しくなっているのではないだろうか。そして、待望のサッカーシーズンだね。大学からまた、スポーツニュースが届いた。二年目だから去年以上に活躍が期待されるのではなかろうか。私たちも期待しているよ。しかし怪我のないように。 初めての本格的な夏のアルバイト、ご苦労さん。1700ドルは大金だ。その金額よりも厳しい体験を通してえた精神的な収穫のほうが大金だ。羽根先生の訪日は、どうなったのか。九品仏のおじいちゃんから広重の浮世絵を頂いた。先生に浮世絵のことを尋ねてもらいたい。 本籍地を現住所の横浜市に移した。これで世田谷とは縁を切ったことになる。大学のほうにも手続きして置くように。よく書類が三軒茶屋にいくのでね。春美に男児誕生。淳平と命名。青葉台にプール完成。ではまた。

(74)1978年9月29日 大学新聞に写真 淳一郎

去年の夏より体重が減ったので、日毎に涼しくなる気候が身にしみます。6,7キロもやせました。しかし日焼けして体の具合は好調です。新しいノックスのカタログに何と僕の写真が載っていたので送ります。大学のTシャツを着ていたのがきいたのでしょう。また今週の大学新聞にも、僕の写真が載ったので送ります。 去年の秋ごろの生活と比べると、全てに自信がついて落ち着いた生活を送っています。何よりも英語の上達が一番の原因でしょう。話す時も一段と声が大きくなったようです。サッカーも今年はミッドウエストのチャンピオンと、全米大会出場を目指すという大きな目標を持っています。 ゲバも元気とか。結構なことです。よろしく伝えてください。今年の夏は大変な暑さだったようですね。こちらも外でのアルバイトだったので暑く感じたけれど、今考えてみると一度も冷房を使いませんでした。友達に聞くと、今年の暑さは例年に比べてあまり暑くなかったそうです。夏暑い年は、冬寒いとか。今冬は、去年のような厳冬ではないことを祈ります。 車の調子はまあまあです。保険料が高いのでびっくりしました。最初に1年に500ドル払わなくてはなりません。2年目は半額になります。 夏に送って貰った「浴衣・帯」は友達に40ドルで売りました。とても喜んでいました。1年越しの約束ですからね。 勉強のほうは時間が足りなくて困っています。勉強以外のことに時間が掛かりすぎるのです。「Fiji」サッカー、「International Club」の仕事などです。International ClubはVice Presidentとしてやっています。折り紙の手ほどきを頼まれれば喜んでやるし、日本語の手伝いもあります。週末にはパーテイー、そしてサッカーの試合です。去年の秋、毎日6,7時間図書館で生活していたことを思うと、時の流れの速さと僕自身の生活の変化に感心しています。ではまた。

(75)1978年11月3日 「ホームカミング・キング」に選ばれる  淳一郎

先日突然電話しましたが、ろくな話もしませんでしたね。お互いに。今学期もあと三週間になりました。また休み中のことを考える時期がやってきました。仕事を探しているのですが、まだ見つかってません。そこで仕方なく送金をお願いする次第です。500ドルほごお願いします。10万円ぐらいですか。円の強さを実感します。先日航空会社のカタログを見たら、シカゴ東京往復が900ドルと出ていました。値上がりが激しいようです。600ドルぐらいの安いものを探してみます。 最近、専攻について考えています。国際関係というのがこちらにあります。この線でやろうと今思っています。数学の成績はよいのですが、どうもやる気がしません。必須になっている哲学みたいなクラスが今一番興味があります。歴史上のいろいろな哲学者の本を読んで、「人間とは何か」という問題を扱う難しいクラスですsが、得るところ大です。経済学・社会学・心理学・哲学・政治学・スペイン語・フランス語などのクラスを取りながら「国際関係」という専攻で行きたいと思っています。しかし、まだ政治学・経済学のクラスは取ったことがないので、なんとも言えません。また例のMini Termには中国語を取る予定です。 先週末はHomecomingといって卒業生が母校を訪れました。これは大学の大きな年間行事の一つで、Homecoming KingQueenが選ばれます。コンピューターが選んだ20人の中から何と僕がHomecoming Kingに選ばれたのです。これは、全学生の投票によるものですが、びっくりしました。僕の名前も随分知れ渡ったものだと思いました。副賞としてマクドナルドの5ドル分の食券を貰いました。 今日は金曜日です。あと3週間でチャンピオンをかけた大事なサッカーの試合があります。古傷の太ももの肉離れが寒さのために再発しました。心配ですが、さすが大学です。お湯が流れる風呂みたいな設備があります。大いに利用しています。試合までには治るでしょう。最近筆不精になっていますs。乱筆乱文恥ずかしい限りです。じゃ又。 PS今回の手紙の要旨は、お金を送ってください。です。

(76)1978年11月20日  五郎

11月3日付けの手紙受領。丁度経堂のおじさんたちが来ていたので、ホームカミングキングに選ばれたことなどみんあで楽しく読んだ。どういうわけで選ばれたのか分からないが、キングはやはりキングだ。おめでとう。淳一郎は、これまでもいろんなことに選抜されてきたね。小学校の時は、健康優良児として、横浜市の代表・神奈川県代表・そして全国10人の特選児童に選ばれたし、1昨年の留学生に選ばれたのもびっくりものだ。今回のキングに選ばれたのも単なる偶然ではないかもしれない。ますます自重するように。 昨日気が付いたのだが、田中くんも車を運転している。夏に免許を取ったのだそうだ。よく手入れをしているよ。お父さんの知人から貰ったのだそうだ。エンジンの調子は、すこぶる快調だとか。初心者マークを付けて走り回っている。田中くんも十分に気をつけるように話しておいた。 サッカーの試合の方はどうなったか。今年はアメリカの中西部で優勝してもらいたいなあ。日本から声援を送っているよ。だが、太ももの古傷の痛みはどうだな。試合に出られる程度に回復しているのかな。放置しておくと持病になって、生涯苦しむことになると大変だから今のうちに徹底的に治療しておくように。アメリカは、スポーツ医学が進歩している国だから、最大限活用することだ。 送金依頼。OK。千ドル送金。18万円ということになる。 今、「普段着のアメリカ」という本を読んでいる。10人のアメリカ留学体験者の記録だ。なかなか面白い。アメリカ人の生活感情がじーんと伝わってくる。アメリカの悩みが分かったような気がする。アメリカが今まで以上に身近に感じられるようになり、より親しみを感じるようになった。 家の温習蜜柑が今年もたくさん実がついた。今が最もおいしい時だ。今年は特に甘味が強いようだ。夏の日照りと肥料が効いたようだ。しかし、南隣との境の生垣の木が5本も枯れてしまった。新しく植え替えなくてはならないが、植木屋に頼むことにした。腰を痛めては大変だからね。 北海道にはもう二度も大雪が降った。我が家はこれからがサンルームが威力を発揮することになる。経堂もうちを真似て、サンルームを作ることになった。大工さんも紹介した。叔父さんは安く出来ると喜んでいたよ。 去年の手紙を読むと、カールトン大学とのサッカーの試合は、11月の上旬だったが、今年はどうか。戦績は。 お互いにだんだんと手紙...

(77)1978年11月27日 又もカールトン大に負ける   淳一郎

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延長戦で休憩中 今日からMini Termが始まりました。中国語を勉強しています。夏休み中留守番をした教授との1対1のクラスで半単位ですが、真剣に取り組んでいます。週3回のクラスです。この他に週34時間(Admission Office)でフリータイムで働いています。主に郵便の仕事で肉体的には楽ですが、すぐに飽きてしまいます。 サッカーは、又もカールトン大学との決勝になりました。3時間の大延長の末に敗れました。全米一のスポーツ紙に記録として残る延長戦でした。気温がシーズン外れの高温のせいもあって、最後は何が何だか判らなくなってしまいました。3キロもやせました。この試合に勝っていたら、全米大会出場の推薦を受けていたことを後から知りました。みんな歯軋りして悔しがりました。今頃もまだ試合が続いているはずだったのに。。。。来シーズンは、半分以上のスターテイングメンバーが卒業するので、今年ほどの成果は期待できないでしょう。 来年度のキャプテンの投票では、二票差で破れました。自分自身に投票していたら。。。悔しいのは、試合の前々日に論文書きで朝の5時まで起きていたことです。疲れが残っていたことは目に見えていました。翌週はずっと風邪気味でした。 ファイナルもなんとか終わって、Thanksgivingには羽根先生の家に招かれてご馳走になりました。教授と一緒に飲み食いできる幸せを、つくつく感じております。ノックス大学には、実に魅力的な教授が大勢います。 愛車は、いろいろと故障が多かったのですが、ある友人が、ほとんどただで直してくれました。(親父さんが車の修理工)彼が家に帰るとき車を貸してやったのです。中古のSnowtireまでプレゼントしてくれました。 今学期は、車をもったことで金は使ったし、友達に貸して故障させられたりして面倒なことがありましたが、今までになかった新しい経験をすることができて楽しかったです。お金今日届きました。ありがとう。クリスマスは友達一家とカナダ旅行の計画があります。実現するといいのですが。成績は分かり次第お知らせします。こちらは、もう厳冬です。二回目の冬ともなると案外あっさりしています。昨夜は5センチの積雪がありました。 ではまた。 PS家の庭の写真を送ってください。友達が全部持って行ってしまいました。

(78)1978年12月17日 五郎

11月27日付けの手紙と12月14日付けの手紙が届いた。国際郵便が随分日数が掛かっている。クリスマスカードの時期のせいだろうか。今年のクラスも終わったね。ご苦労さんでした。 カールトン大学とのサッカー決勝戦は本当に残念。巨人だって勝てるはずの試合を落とすことがあるのだから、勝ち運に見放されたということになるのだろうね。2票差で逃がしたサッカーのキャプテンも。 昨日の大ニュースは、米中友好条約。日本ではテレビの特別番組で今後の世界・アジアの情勢について報道していた。これからは、中国の時代だね。中国語のクラスを取っているそうだが、先見の明あり。中国では「10年後の中国」を合言葉にしているそうだ。我々は「10年後のアメリカ」「20年後の日本」を見て欲しいと胸を張っていえるだろうか。少なからず心配だな。今日の新聞には、日本人の国連職員を今後2年間に倍増(現在74人)することが報じられていた。 11月25日、教頭試験合格の通知。12月13日に面接試験があった。この年齢で筆記試験は厳しかった。来年の4月には、どこかの学校の教頭になるだろう。お母さんが一番喜んでくれた。 カナダ旅行はどうなったか。一番寒いときに一番寒いところへ行くのが旅行の通だそうだ。この手紙が届く頃は、カナダに行っているのだろうが、せいぜい見聞を広めることだ。改めてカナダの地図を眺めているところだ。我が家の庭の写真、今日改めて撮影した。出来次第送ります。お座敷の前に藤棚を作った。門冠りの松の手入れをした。立派になったところを写真でよく見ること。 朝日新聞社主催の「健康優良児童表彰制度」は今年限りで終了。来年度以降は実施しないと今日発表された。健康優良校表彰制度は続けるそうだ。昭和5年から実施されてきた制度も半世紀で終止符が打たれた。

(79)1979年1月15日 成人の日 淳一郎

気が付いてみたら今日は1月15日、成人の日ですね。とにかく寒いです。今冬は去年よりは暖かくて過ごしやすいというかすかな希望も、大晦日からの寒波で吹き飛んでしまいました。先週末は1晩で30センチ以上の積雪、その後は物凄い寒さに見舞われました。学校の食堂も材料が入荷できないので、冷たいサンドイッチばかりの週末になりました。卒業生も足止めを食って、どうしようもないといったところです。郵便物も大変遅れているようです。 お父さん教頭試験合格おめでとう。 今学期のクラスの勉強は、今までになく厳しいです。特に政治のクラスは僕がアメリカの歴史の知識が友達に比べて欠けていることと、特別な単語が多いため、数学のように楽ではありません。それだけに得ることが多いのだと自分に言い聞かせて取り組んでいます。とにかく僕の専攻予定の科目ですからね。この不利な点を逆手にとってプラスにするしかないでしょう。アメリカで特に政治学で学位をとる日本人はそう多くはないはずだし、きっと利点はあるはずだと考えて取り組むつもりです。近頃考えるのですが、アメリカという国は、白人にとっては天国ですが、その他の民族にとっては住みにくいところです。 最近気が付いたことですが、僕は他の留学生たちからとり残されているような気がします。今はアメリカ人ばかりと付き合っているためか、時々変な気がすることがあります。先日、イリノイ大学の河崎さんが訪ねてきてくれましたが、自分の言いたいことが日本で半分も言えませんでした。 他民族も共に生きていくということは、口で言うほど簡単なことではないと気が付きました。日本にいるときは一度も考えたことも経験したこともなかっただけに、政治専攻の学生にとっては、またとない貴重な体験だったと思います。 ではまた。 専攻はまた変るかも知れません。経済?

(80)1979年1月15日 五郎

今日は成人の日。成人おめでとう。全国で162万人が成人の仲間入りをしたとのこと。男82万人・女80万人。淳一郎が日本にいたら成人を祝って一緒に一杯やるところだったがそれは後日に回そう。 成人になるということは、自立すること。保護者である親から独立して、全て自由になるということ、そして自己の全てに責任をもつということだろう。しかし当分は経済面では独立お預けだ。早くその日がくることを願っているよ。 同封の浮世絵を羽根先生にお渡し願いたい。九品仏のおじいさんから分けてもらったもの。安藤広重の有名な作品だ。履刻物ではない。そのせいか少し虫に食われているが。写真が出来たので同封。三村先生から川喜田先生の写真を頂いたので同封。私が目黒の事務所に訪ねていったときの写真だ。 今冬は、こちらは暖かく、正月は最高の天気だった。しかし13日は1日中雪が降り続き、一面の銀世界。駅まで例の坂道は靴を荒縄で縛って滑らないようにして下っていかなくてはならなかった。あまり格好のいいものではないが。滑り止めには、荒縄が一番だ。これも子供の時親から教えてもらった生活の知恵だ。冬はやはり寒くなくてはいけないが、大学の食堂に食材料が届かなくなるような寒波は困るね。新聞はアメリカ中西部に大寒波襲来、ミシガン湖結氷と報じている。欧州も大寒波におそわれているようだ。 九品仏のおじいさんは、今年は米寿(88歳)のお祝いの年。4月中に皆で集まってお祝いすることになっている。今年は淳一郎も一時帰国すると聞いて楽しみに待っているようだ。では体に気をつけて。

(81)1979年2月8日 ラスベガスナイト 淳一郎

ごぶさたしました。元気です。小包みが届きました。浮世絵も無事に届きました。羽根先生は、本物の浮世絵を手にして大変喜んでいました。よろしくお礼を言ってほしいとのことでした。こちらでは、様々のプレゼントはなんといっても貴重です。ガールフレンドや友達の誕生日のプレゼントは欠かせません。 先週末のFijiのミーテイングではOfficerの選挙がありました。 僕もSecretaryに推薦されたので演説までしたのですが、惨敗。さすが民主的な国だけあってミーテイングが積極的です。貴重な体験でした。この毎週のミーテイングからは、本当に学ぶものが多く、特に民主主義とはこういうものかと少し分かったような気がしました。現在Scholarship Chairmanといって会員の成績を集めたり、昔のテストやノートの整理をしたりする仕事をしています。 ミーテイングといえば、International Clubという留学生を中心としたクラブでは、Vice Presidentでリーダーシップをとっています。現在、クラブの新聞を作る企画会議で、てんやわんやの大騒ぎをしているところです。 今週末は学生会主催のラスベガスナイトといって、キャンパスがギャンブル一色に染まります。2年に1回の行事で、皆かしこまってルーレットやカードで一晩すごします。僕は警官としてルール違反者を牢獄にぶち込むのが役目です。憂鬱な冬とはいえ、勉強とビールと、パーテイーと様々なクラブ活動で忙しい毎日です。 週2回のバスケットボールでは、毎回上達が早いとコーチに言われます。春になったら、又町のチームと一緒にサッカーをwやります。寒くてとても外を走ることはできないので、運動不足気味ですがバスケットボールで何とか補っています。 我が愛車も寒さに負けず何とか走ってくれます。青葉台の写真をみて駅前の変りようにびっくりしました。プラットフォームの写真で手前に立っているのは篠さんでしょうか。寒さが続きます。体に気をつけてください。ではまた。

(82)1979年2月18日  五郎

今テレビでブラジル対ポーランドのサッカーをみながらこの手紙を書いている。今ブラジルが1点先取。 今年は本当に暖かい。春を待つ気がしない。雨も程よく降り、植物は順調に成長しているようだ。寒椿は、11月からまだ咲き続けている。つくばいの側の白梅が満開になった。沈丁花・花桃・豊後梅も咲き始めた。寒蘭の花はすでに終わり、春蘭が咲き始めた。エビネもつぼみが大きくなっている。日本の春は植物が運んでくるんだね。羽根先生から礼状を頂いた。大変喜んでくださったようで何よりだ。 「淳一郎くんは、朗らかに元気でやっている」 と書き添えてあった。安心。 ラスベガスは楽しかったようだな。警官役だと取り締まりばかりでギャンブルは1回もできなかったのだろう。可哀想に。多忙の中でも適当に楽しむことを忘れないところがアメリカ的か。大切なことだ。日本でも忙中暇有りと負け惜しみみたいな諺があるなあ。 田園都市線が8両編成になるそうだ。毎日の通勤地獄を早く解決してもらいたいものだ。目下、各駅ともプラットフォーム延長工事を実施中。4月からの実施を目指しているそうだ。 中国とベトナムの国境がおかしくなってきた。大きくならなければ良いが。米ソの関係も賑やかになっている。国内では、ロッキード事件に引き続き、今度はグラマン社と日商岩井がクローズアップ。これは、日本の政界・財界を揺るがす大きな問題に発展しそうだ。司法当局がどこまでやるか国民は見守ることが大切だろう。 いよいよ専攻決定の時期だね。日本人留学生が、アメリカで政治・経済学などの文科系を専攻することの難しさは想像に硬くない。このことは、加藤さんからも言われている。科学関係の何倍もの語学力が要求されるとか。それに挑戦しようとする心意気に声援を送りたい。頑張ってみることだね。 体にはくれぐれも注意してほしい。

(83)1979年2月26日 一時帰国の計画  淳一郎

今日は金曜日、テストが二つ重なってしんどい1週間でした。とにかく気違いみたいに勉強しました。しかし、成績は大したことはありませんでした。今学期は、本当にタフだと我ながら感心しています。来学期はもっとタフにならなkればと今から気が重いです。政治では一番やさしいといわれるクラスでふーふー言っているのですから、全く嫌になってしまいます。 この頃キャンパスでの話題は、中国のベトナム介入です。みんなは、アメリカが参戦したらカナダに行くとか言ってますが、誰も本気にはしていないようです。日本ではどうですか。 来年の冬は香港に行こうかと考えています。何としても中国語をマスターしちし、冬の寒さからの脱出方法としては、なかなか素敵なアイデイアだと思います。だけれど、結局中止しました。こちらのクラスとの問題があります。中国語の勉強だけのことならわざわざ行かなくてもある程度の勉強はできるし。 さて、一時帰国まであと4ヶ月となりました。そろそろ飛行機の切符のことやら、計画やら立てなくてはなりません。あるツアークラブの会員になって、サンフランシスコ・東京片道350ドルで行こうと考えています。カリフォルニアまでは、友達とドライブする予定です。2000マイルのドライブはなかなかの冒険になるでしょう。卒業式は6月9日です。それまではこちらにいたいので、帰国は6月20日ごろになるでしょう。 夏休み中の日本でのアルバイトは、英語を教える仕事か、外で働く仕事を探す予定です。働き口を探しておいてください。それに中国語を勉強する、本をたくさん読む、友達が行っている大学を訪問する。サッカーをする。友達と飲む、といった生活になるでしょう。 日本語の教習を始めました。春休みはどこにも行かないでアルバイトする予定です。車の維持費がばかになりません。お陰で厳冬の中でもどうにか走っています。 日毎に春らしくなってきました。といっても雪はまだ消えません。昨日最高気温が零度以上になったとニュースで報じていました。日によって気温が大変違います。そのため、風邪が流行っています。凍った道路で滑り、捻挫や骨折者が多く、松葉杖の需要が上昇といったところが昨今の実情です。 ではまた。

(84)1979年3月16日 五郎

もうすっかり春だ。さくらの蕾が日毎に大きく膨らみ開花を待っているようだ。私の開花(教頭発令)はどうか。待たれるところだ。空きがないと1年間要員として待たされることがある。 中国とベトナムの紛争が解決して、本当に良かった。一時は世界戦争になるのではないかと心配したが、ほっとしたのも束の間、国内では日商岩井の汚職事件が大きな政治問題に発展してきた。飛行機輸入に絡む事件だ。 さて、夏の一時帰国の時期が近付いてきたが、6月下旬といえばうっとうしい梅雨の季節、今年はどんな梅雨になるのか気になるね。まさか日本の梅雨は忘れては居ないだろうね。帰国のための費用は送るさ。アメリカ大陸横断に掛かるものは、時間だけではなく金も必要だろう。どのくらい送ったらよいか知らせてもらいたい。大陸横断は、おんぼろ車ではいけないよ。 私の知人の子供がペンシルバニア大学の大学院にもう6年も行っている。私費留学なので年間3百万ぐらい送金しているそうだ。専攻は経済学。そのために語学留学に1年費やしたそうだ。何といっても政治・経済の専攻は大変らしい。方向を変えるなら今のうちだよ。 日本も大学入試制度が変った。今年から、共通一次、二次制度が取り入れられ初めて実施された。教育には、最高で最良の制度はない。一長一短だ。しかし、現在の入試制度は変えなくてはならない。今の大学は、「入学が難しく卒業は易し」だ。これは、反対でなくてはならない。この改革が大変難しいらしい。 今の入学制度がこのまま続いたら、20年後の日本は大変な国になるような気がする。日本を救うのも、駄目にするのもお前たちだ。頼りにしてますぜ。 ではまた。一時帰国の旅行計画を楽しみたまえ。

(85)1979年3月24日 ザ ファースト デイ オブ ザ スプリング

暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだと感心するほど暖かい日が続いたかと思うと、今日は一日吹雪。仕舞いかけたジャケットをまた引っ張り出して着ているところです。春分の日は、こちらでは休みではありません。しかし不思議なことには「The First Day Of The Spring」と言って話題になります。 長くて厳しい冬の学期が終わり、春休み(といっても1週間)は、キャンパスに留まり、「Admissions Office」で働きました。成績は政治がB、経済がBでした。そして、一番力を入れた「Preceptorial」がCでした。Cというのは何といっても不満足だけれど仕方がありませんでした。また頑張りましょう。 今日は土曜日、月曜日からまたクラス。去年の日記を振り返ってみると、とにかくやることが一杯あって落ち着かない日が続いたことが書かれています。気候がよい時だけに、動物が冬眠から醒めたように、皆フロリダなどで焼いた肌をさらけだして遊びまわる時期です。先学期にもまして、僕のクラススケジュールは厳しく、アメリカ大統領という政治のクラスと、経済、それに「Preceptorial」で忙しくなるでしょう。去年通り、毎週ゲールズバーグの町のサッカーの試合はあるし、大学の事務所で週10時間働くことになるでしょう。 帰国も10週間後になりました。家に帰るというよりも「日本という国に旅をする」のが楽しみです。車での大陸横断はやめて、シカゴから飛行機に乗ることにしました。6月13日の切符を申し込みましたが、まだ未定です。夏までの送金の必要はありません。 日本では、英語を使う仕事があれば良いのですが、家のペンキ塗りをしたらいくらになりますか。 お父さんの教頭昇格を祈ります。ではまた。

(86)1979年4月11日 恵子

日本の花さくらが今満開。この間の日曜日(4月1日)は、上野公園はお花見の客で賑やかだったようです。その翌日仕事で上野公園に行ったら、足の踏み場もないほどのゴミまたゴミ。日本の花見客にも困ったものです。外国人がこのゴミを見たらどう思うでしょうか。 すっかりご無沙汰してしまいました。今日、24日に出した手紙が着きました。そちらもだんだんと春らしくなって活気ついてきたようですね。何よりのことです。日本は例年になく暖かな冬で桜の花が半月以上早いそうです。3月25日から4月4日まで春休みでしたが、いつのまにか過ぎてしまいました。というのも6年生を卒業させた疲れがどっと出て、少し家で静かにしていればよかったのですが、それができずばたばたしているうちに、新学期が始まってしまいました。今年は、3年生の担任になったので、少しは手紙を書く時間が取れるでしょう。 お父さんはこの4月に教頭に出ることはできませんでした。「年間要員」といって欠員が出たときの要員になりました。年度の途中で発令されるかも知れません。今年中に発令がなかったときは、来年4月に必ず発令になります。何しろ競争率は6.5%という高率です。百人中6人ぐらいしか教頭になれないのですから大変です。お父さんもやっと安心したようです。私も安心しました。 4月8日は県知事その他地方議員の選挙がありました。雨降りだったためか投票率は50%を少し上回った程度。選挙人名簿に淳ちゃんの名前も出ていました。東京都知事は、鈴木俊一さんが再当選しました。 西隣の早田さんの長男が去年の今頃ロスアンジェルスで国際結婚したのですがうまくいかず、最近離婚されたようです。国際結婚は本当に大変ですよね。この点よく考えてくださいよ。 この間から翠嵐高校のクラス会の案内が来ています。2年と3年のクラス会です。欠席の返事を出しておきました。この手紙が着く頃は、もう21歳の誕生日が過ぎていますね。おめでとう。お祝いは帰国してから。6月の帰国を待っています。

(87)1979年4月14日 淳一郎

久しぶり。気が付いてみると、後2ヶ月で日本に帰ることになりました。春の学期も3週間が過ぎ、いろいろ楽しみがあって忙しくやっています。手紙が減って申し訳ないのですが、どうもおっくうになってしまいました。でも帰ったときのことを考えると、今から少し書き出したほうがよいだろうと思って、思いペンを取りました。報告。先学期の成績、政治B・経済B・「Preceptorial」C。政治でBが取れたのは嬉しかった。Cはどうも納得いかないのですが、教授と馬が合わず歯がゆい思いでした。 6月13日の飛行機を予約しました。まだ確実ではないけれど。それはそうと30日は結婚記念日でしたね。手紙も出さず申し訳ありませんでした。ちゃんと覚えていたのですが。 6月には、カーター大統領が日本に行くことになっていますね。今学期「アメリカの大統領」という政治のクラスを取っている関係上興味深いことです。政治及び政治家に関心が高まってきました。 今、毎週日曜日にゲールズバーグのサッカーチームで、ゲームがあります。皆あまり上手ではありませんが、適当なトレーニングにはなっています。 帰国の件はまた詳しくお知らせします。

(88)1979年4月22日 五郎

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帰国まであと2ヶ月、元気で帰国できるように祈っている。 さて、2ヶ月間のスケジュールだが、私も今年の夏だけは久しぶりにのんびりできそうだ。というのは、何年ぶりかの試験のない夏になった。去年までは、夏は教頭試験の連続だった。この4月には教頭の発令はなかったが、「教頭年間要員」といって今年中に欠員がでたときはすぐに発令されることになった。今年中に欠員がなかったときも、来年の教頭発令は保証されている。でもいつ発令になるか分からないので、なかなか落ち着かないという欠点はあるけれど。 久しぶりに旅行したいなあ。九州にも帰りたい。温泉にも行きたいな、3人で。青葉台も二年間に随分変ったよ。家も変った。今様浦島太郎になるのではないかな。 国内政治・経済・外交問題など、よく分からないが、日本の進路に大きな壁が横たわっている。政治は国民のことより自分のこと、所属している政党のこと、そして政争の道具になっている。円高ドル安(今日は219円)のこと。貿易差益の国民への還元。景気は少し回復の兆しが見えてきたというけれど、私たちにはさっぱり見えないね。 明日は春闘で私鉄がストを予定している。東急がストを実施したら私たちは完全にアウト、今晩は、九品仏に行って泊めてもらわなかればならない。これから出かけるところだ。 4月28日におじいさんの米寿のお祝いを赤坂で。30人ぐらいの会。米寿のお祝いというのは昔は本当にめずらしかった。おじいさんは、今も元気だ。もっともっと長生きしてくれるだろう。 遅ればせながら21歳の誕生日おめでとう。お母さんと2人でお祝いをしたよ。本番は帰国してから3人で盛大にやろう。 ではまた。

(89)1979年5月6日 専攻を経済に決定 淳一郎

すばらしい天気の日曜日です。今日はParents Weekendといって親がキャンパスに訪れています。2年も経つと顔なじみの人が増えて、楽しい話題に花が咲き、例の照り焼きチキンや、みんなが持ち寄ったデザートで大変なご馳走です。 ところで、僕のすずめの涙ほどの給料では、どうしてもやりくりできません。いろいろとお土産も買いたいものがあるので、お金を送ってください。 先週、僕は正式に経済専攻にしました。来年、2人もの政治の教授が転任になるので、政治専攻は様子をみることにしました。羽根先生も1年間ノックス大学から離れることになりました。政府からのお金で研究生活を送ることになりました。秋には、日本に行かれるはずですから、今度こそ、お会いできると思います。先生のお嬢さんは(ノックスの2年生)この夏日米学生会議参加のため、日本に行く予定です。 二週間前、歌舞伎の公演がノックス大学でありました。現在アメリカの第一人者と知り合いになりました。彼も、この夏日本に行くそうです。多分会えるでしょう。 僕はこの夏英語でも教えて働こうと思っています。シカゴを6月13日に出発しますから、東京には、6月15日に着きます。お金を送ってください。

(90)1979年5月6日 恵子

青葉若葉の美しい頃になり、我が家の庭も活気ついてきました。そちらも凌ぎやすい良い気候になったことと思います。日本も飛び石連休が今日で終わり、最後の休日で各地は、大変な賑わいのようです。お父さんは、松の手入れや盆栽の植え替えで大変です。私も、庭の草取り、芝刈りで汗を流しました。狭い庭ですが、手のかかるものですね。でも、これが楽しみですから。 後1ヶ月すれば帰ってくるのですね。淳ちゃんも待ち遠しいでしょうが、私たちも同じです。先だって、東京の赤坂で、宮崎のおじいさんの米寿のお祝いの会がありました。私たち兄弟5人で開きました。身内だけでしたが、31人も集まって大変賑やかでした。おじいさんもおばあちゃまも淳ちゃんが帰ってくるのを首を長くして待っているようです。 遅くなりましたが、小切手を同封しました。お金がついたら電話してください。その時、詳しい日程を知らせてください。 今大平首相がアメリカに行っているし、6月には、カーター大統領の来日、柿の木坂の叔父さんは、首相がアメリカに出発されるまでは、大変だったようです。 そうそう、イギリスの首相にサッチャー女史が就任しました。50歳を過ぎているのにたいしたものです。私も負けられません。新聞をみて感心しながら、頑張らなくてはと思いました。小包みを今日送りました。帰る前に着くでしょうね。気をつけて帰国を。待っています。 6月15日 淳一郎、中華航空で2年ぶりの帰国。羽田空港着。 8月26日 ノースウエスト航空で成田空港より再度渡米。

(91)1979年9月4日 恵子

9月にはいり朝夕は大分涼しくなりましたが、日中の残暑の厳しいこと。その後元気にしていますか。アメリカ行きの飛行機の中ではよく眠れましたか。 成田空港で別れてから、田中くんの車で鹿島まで行きました。お父さんが戦時中にいた航空隊の後をみてきました。住友金属工業の工場前に、まだ昔の航空隊の一部が残っていました。お父さんは感無量のようでした。そこから利根川を渡り3人で夕食をすませて帰ってきたのが何と10時、さすがの田中君も疲れたようでした。何かの時にお礼を言っておいて下さい。 今回の旅行はどうでしたか。どの辺りを回ったのですか。もうニュースで知っていると思いますが、夏休みを利用した短期留学生が、ニューヨークから帰国できなくなり、何回かに分かれてやっと帰国したという事件がありました。無計画な留学斡旋業者が多くなっているようです。 先日の日曜日に武谷さんが本を返しに来ました。お茶でも飲んでいらっしゃいといったのですが、すぐ帰ってしみました。あの本は、あなたがアメリカに持っていったのだとばっかり思っていました。私たちは知らなかったのでね。 ワールドサッカーの予選が終わりました。残念ながら日本は予選で失格となりました。A,B,C,Dの4グループで、4カ国で試合して2カ国が出場できたのですが。。。でもとても良い試合をしましたよ。応援もすばらしかったですね。今までに見られなかった盛り上がりがあったと思います。日の丸の旗は100本nぐらい振られていましたし、声援が素晴らしかったです。応援もやっと国際的になったように思いました。詳しいことは雑誌を送りますからみてください。 大学のサッカーの試合も週末ごとにあるようですね。体がなまってしまったといっていましたが大丈夫ですか。体に気をつけて怪我をしないように頑張ってください。

(92)1979年10月10日 五郎

8月下旬成田空港で別れて以来のごぶさた、お互い様だね。その後も元気でまたアメリカの生活に順応していることと思う。2年ぶり2ヶ月間の日本の生活は、あっという間に過ぎてしまったね。アメリカのこと、大学のこと、これからのこと聞きたいことは沢山あったのだが、半分も聞かないうちにまたアメリカに行ってしまったような気がする。 羽根先生が来日された。早速国際文化会館に電話してこれからのスケジュールを知らせて頂いた。近日中に加藤さんと一緒に食事をしたいと思っている。先生のご都合さえいよければぜひ家にもご招待したいと考えている。12月まで日本に居られると聞いているので、1日ぐらい時間が取れるのではないかと思っているのだが。現在、広島でお仕事をなさっているはずだ。 日本は、衆議院が解散し総選挙。10月7日が投票日、自民党が過半数を割ったので政局はこれからも混迷確実。おかげで、パーカーの株を買ったとたん、一気に30円も下がってしまった。政治は安定してくれないと、我が家の経済にも波及してしまう。 由利枝夫妻は、10月から経堂の実家で暮らすことになった。2階を大改造した。お陰で叔父さんたちは元気を取り戻したようだ。九州の六蔵叔父さんのお父さんが亡くなられた。あの尺八を吹いていた人だ。 その後の我が家は健在。9月13日から15日まで、お母さんは北海道旅行、私は9月29日から10月1日まで愛知県から長野県旅行、高木先生の実家訪問。その先生の実家で台風に遭遇、大変な旅行だった。お母さんは一人で台風通貨に絶えなければならなかった。怖かったらしい。被害なし。 今日は体育の日で休日。しかし、お母さんは運動会のため朝早くから出勤。君は、サッカーの試合、そして勉強。私は久しぶりにゆっくり。お互い頑張ろうじゃないか。

(93)1979年10月15日 淳一郎 不振のサッカー

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10月半ばを過ぎて、やっと手紙を書かなくてはという気になりました。とにかく忙しいのです。3年生としていろいろな方面で責任ある仕事をするし、サッカーチームは不振で頭が痛いし、友人関係でもゴタゴタがあるし、クラスもなかなかきついしと、言い訳はいくらでもあります。 その後元気ですか。羽根先生にはお会いできましたか。今年はバンクロフト奨学生としていろんなことに繰り出される年になりそうです。ご存知のようにバンクロフト奨学基金は、今年で50周年を迎えることになります。羽根先生が中心になっていろいろな催しがあるのです。 9月早々には、日本の現代版画作品展がノックス大学でありました。シカゴ総領事の尾高氏を招待しました。学長の家での夕食会には僕も呼ばれました。これを機会に冬休みや夏休みに、シカゴ総領事館でアルバイトをと考えいろいろ手を尽くしています。 学長との奇縁から、先日は「Trustee」と言って全米の知識人・富豪との夕食会にも呼ばれました。バンクロフトの奨学生であるということだけでなく、サッカーの中心選手であるということは大いに宣伝になっています。春には、ライシャワーかインガソル元駐日大使が見える可能性があります。楽しみです。 卒業後のことですが、日本の大学院のことを調べて知らせてください。試験日・内容・日時など。 サッカーのことですが、今年はまだ一度も勝っていません。ゼロ勝7敗です。去年のスターテイングメンバー7人を失ったとはいえがっかりです。来年にかけるしかありません。チームの全得点3点は全て僕の得点です。 筆不精もいいところ、まったく申し訳ないことです。再度渡米してから今回が最初の手紙ですね。もっとも、だれからも手紙をもらっていません。気にならなくなりました。2年前に比べると何たる変化でしょう。 元気でやってください。

(94)1979月11月4日 MVPに選ばれキャプテンとなる  淳一郎

寒くなりましたが元気です。いろいろニュースがあります。サッカーは又も決勝で負けました。8年間の伝統的な?出来事だそうです。僕は今シーズンのMVPに選ばれました。そして、ノックス大学の来シーズンのキャプテンになりました。また、3年目の「All Conference Player」にも選ばれました。 成績の方はまだ不明ですが、もしかしたら3つAが取れるかも知れません。政治のクラスのペーパーテストで90点取れたのが一番嬉しかったです。日本の外交のことを書いた15ページのペーパーが教授に「とても興味深い」と言われました。 試験が終わったその晩に、シカゴの総領事館から電話があって、12月中働けることになりました。領事館でのアルバイトなど、もうとっくにあきらめて、冬休みはキャンパスで働くつもりでいたので、とても嬉しい電話でした。 今日、はじめて領事館を訪れました。日本から来ている人は7人です。総領事・副総領事・あと2人領事の肩書きをもった人がいます。その他大蔵省と参議院からきている人が一人ずついます。とても日本的な感じです。というのは、アメリカナイズした人がいないのです。異様な感じです。とにかくここで仕事が出来るのはラッキーです。誰かが丁度辞めたこと、年末の仕事が多いことで僕が雇われたみたいです。タイプができますし、車の運転もできるのでいろいろ役に立てそうです。飛行場への人の送り迎えなどで領事館の車を運転できることになりました。いろいろな雑用を通じてさまざまな勉強ができそうです。日本からの情報はいっぱいあるし、まさに夢が叶ったような仕事です。 12月いっぱいは、ノックス大学の卒業生の友達と一緒にシカゴでアパート暮らしです。臨時のシカゴ市民になります。とても楽しみです。ちなみに月給は760ドル。休日や夜など働いたらもう少しもらえるかも知れません。新しい住所が決まったら知らせます。それまでは大学のほうに連絡してください。 ではまた。

(95)1979年11月18日 恵子

11月も半ば、こちらでもストーブを使う頃になりました。すっかりご無沙汰、元気ですか。そちらは、もう何度ぐらいになっているのかしら。また厳しい寒さの冬がやって来ましたね。でも3回目の冬ですから私たちも少しは安心しています。 私たちは、忙しくて病気をする暇もありません。昨年お父さんが入院していたことを考えるとぞっとします。休日も、結婚式・運動会・いとこ会・クラス会・学芸会といろいろと行事がつまっていましたので、ゆっくりすることができませんでした。日曜日の今日、お父さんは勤務です。 先日12日、やっと羽根先生にお会いすることができました。品川の高輪プリンスホテル内の高縄亭で、先生と加藤さんと4人で食事をしました。高縄亭は長崎の料理で有名なところです。羽根先生も大変喜んでくださいました。一度青葉台の家に泊まりに来て頂くことになりました。 加藤さんの話によると、今年の留学生の最終選考が11日に終了、男女2名が決定。男性は東京の自由学園の人、女性は大阪の人でノックス大学に行くそうです。 サッカーの戦績はどうですか。去年は決勝で負けて悔しがっていましたが。 日本のクリスマスカードを送ります。使ってください。 アメリカとイランの国交が不穏になってきましたね。イランからの留学生もいることと思います。心配でしょうね。 お金はあります。少ないと心細いものです。早めにいってください。 では体には気をつけてくださいよ。

(96)1979年12月7日 五郎

便りのないのはいい便りとは言うが、便りはやはりあったほうが良い。お互いに筆不精になったものだ。月1回ぐらいは書かないとね。 12月1日、羽根先生が青葉台に来てくださった。ワインを飲みながら夜11時すぎまで話し合った。淳一郎のことは勿論、先生ご自身のこと、特に戦争中強制的に収容所に入れられたこと、イラン、韓国のこと、アメリカの歴史と現状、これからの進路、日米関係のことなど、私は、もっぱら聞き役。学究のひとにはしばらく接していなかったので楽しい一夜だった。先生は明日成田から帰国される。 シカゴ領事館で働くことができるようになったとか、朗報だね。一ヶ月間のアルバイトとはいえこの経験は今後大いに役立つと思う。良い意味でも悪い意味でも。領事館の車の運転は特に注意するように。外交官特権というのがあるだけに、かえって神経を使わなくてはならないと思う。報酬も魅力的だね。 サッカー部のキャプテンになったそうだが、高校のキャプテン経験がアメリカでも役立つことになったわけだ。とは言うもののアメリカの大学のキャプテンだ、苦労が大きいと思う。大変だろうがリーダーシップを十分に発揮することだね。後学のために。 政治でAが取れたとはすごいじゃないか。羽根先生がおっしゃっていたが、Aはなかなか貰えないのだそうだ。特に留学生にとって文科系のAは珍しいことだそうだ。自信をもって精進すること、そしておごらないこと。 KDD(国際電信電話公社)の20億円に上る不正経理が明るみに出た。内7億円もの密輸を行なったという事件も明るみにでて問題になっている。そのためか、やっと日本からアメリカへの電話代の値下げを実施sすることになった。3分間で1000円ぐらい安くなるそうだ。これは私たちにとっては朗報だ。 朝日新聞社が留学をテーマにしたコラムを掲載している。なかなか興味深いコラムだ。留学のピンからキリの実態・卒業生の就職先とその後の活動・企業の留学制度・企業の幹部候補生ビジネススクールなど。淳一郎の今後の進路について考える参考になると思って読んでいる。羽根先生や加藤さんは「足立君はビジネススクールへ進むのがよいのではないか」と言っていたことを付け加えておく。 悲しい報告。榎本さんのご長男が(一人っ子、31歳)交通事故で死亡。二人の男の子を残して。顔は知っていると思う。そこでまた注意。車の運転は注意の上にも注意のこと...

(97)1979年12月15日 シカゴ総領事館で働く  淳一郎

シカゴ領事館で働き始めて3週間経ちました。 いろんなことをやって楽しい毎日です。オフィスで居る物を買いに行ったり、領事館の車を運転したりしています。これからは、受付に座って電話の対応をすることになりました。 日本がイランの石油を買っていることに腹をたてて、文句を言ってくるアメリカ人からの電話が日に数件ぐらいあります。 先日は首席総領事のお供で元外務大臣の小坂善太郎氏を空港まで迎えに行きました。飛行機は遅れましたが何も話しません。こういう要人の出迎えというのは大変なようです。 また先日領事9人とその家族が総領事の家に集まってクリスマスパーテイを開きました。 子供達の手品や歌に続いて僕も大人たちの先頭になって歌を歌わされました。マイクを握って唄っている時、とうとう総領事を引き出して歌わせてしまいました。結局最後は全員が何かしらやりました。大蔵省から来ている領事に知雄叔父さんのことを話したら、ご存知でびっくりしていました。首席領事にはよくお昼をご馳走になるのですが、何と大分県の宇佐市の出身だそうです。 「父は竹田市の出身です」 と言ったら、 「ああ、そうですか」と言ってました。 今までの僕の感想は、役人は金回りがよいということ、それに領事といっても言葉に不自由な人が多く、ことばの壁は仕事にも影響するのではないかと思われます。 よい年を。

(98)1980年3月9日 五郎

ご無沙汰。暦の上で春だが、今年はなかなか春の兆しが現れてこない。 さて私も、待望久しかった東京都公立学校の教頭に発令されることになった。去年の4月に話したように、この一年間は教頭要員になっていたので、いつ発令されるのか期待と心配と不安の連続だったが、どうやら年度途中の発令はないようだと思っていたところ、3月16日付けで発令されることになった。この手紙が着く頃はもう辞令が出ているだろう。 学校は10年前に勤務したことのある「中町」。この学校は、最後の一年間病気で休職、忘れられない思い出のある学校だ。 「10年前は、病気などして十分に働けなかったようだから、今度は教頭としてその分も償って貰いたい」 という当局の意図かも知れない。着任10日後には、修了式・卒業式が控えているから大変だがね。以上報告まで。 日本の様子、よい話はない。円安で1ドル250円、大根やキャベツは1個100円とか、お母さんは芝生を畑にしようかなどと冗談を言っている。九品仏の家は、改装することになった。敷地を二分して、邦夫叔父さんと美智子おばさんが家を作ることになった。これで安心。 由利枝は、7月に出産の予定。順調だ。経堂の叔父さんたちも元気だ。 「一緒にアメリカに行きたい」 などと言っている。実現できるといいのだが。 ではまた、お母さんが手紙を待っているよ。 追伸 この夏のアメリカ旅行の件。教頭になった最初の夏休みだから海外旅行は難しいかも知れない。校長の許可が必要。1ヶ月ぐらい経ったら申し出る予定。結果が出るまでは計画はストップだ。

(99)1980年3月13日 バンクロフト基金50周年記念  淳一郎

ご無沙汰しました。元気ですか。明日で試験が終わり1週間の休みとなります。元日の電話から手紙を書いていないので、まずは報告から。 先学期の成績はAが2つにBが1つでした。「Dean’s List」に名前が載りました。今学期も同じ様な成績になりそうです。政治のクラスで1時間あまり日本の外交について発表しました。例のKJ法が大変役に立ちました。21ページのペーパーは大変だったけれど、やりがいがありました。 夏休み中シカゴの領事館に行って、夏の仕事を見つけたいと思います。 今年はバンクロフト基金の50周年記念で4月1日にたくさんの知名人がゲストとしてノックス大学にやってきます。元駐日大使インガソル氏、先輩にあたるシカゴ大学の入江教授、経団連の島内幸太郎氏、尾高シカゴ総領事などのそうそうたる顔ぶれです。羽根先生が司会役で、デスカッションが行なわれます。僕も招待されているので楽しみです。 「Fiji」では「Corresponding Secretary」といって書記役みたいなポストに選ばれ、ますます忙しくなりました。 インターナショナルクラブでは、僕の司会で、イラン革命のデイスカッションをやりました。参加者は50人ぐらいでしたが、なかなか好評でした。 相変わらずビールを飲みながら、勉強に遊びに励んでいます。雪解けも間近です。春のサッカーの計画を練っています。休み中は、町のサッカーチームに混じってインドアサッカートーナメントに参加する予定です。 卒業後のことですが、大学院への進学も考えています。ビジネススクールというよりも、今のところワシントンにある国際関係の一流校を考えています。 この夏のアメリカ旅行はどうなっていますか。いくつか計画がありますから、実現しそうなら早めに知らせてください。3月30日は結婚記念日でしたね。23周年ですか。 今学期になって書いた手紙はこれが初めてです。届いた手紙も九品仏からのものがただ1通、もう少し書いた方がいいでしょうね。 では。

(100)1980年3月23日 両親のアメリカ旅行(その一) 淳一郎

教頭昇進おめでとう。明日から春の学期が始まります。 アメリカ旅行のことですが、2週間という短期間に未知の国を見て回るというのは大変です。時差などに体力的な疲れ、文化の違いによる緊張感、これは想像以上のものがありますよ。 僕は多分シカゴ領事館で働いていると思いますので、シカゴに直接来るのがよいでしょう。シカゴ市内は案内できるし、ノックス大学は近いし(といっても車で7,8時間はかかりますが)便利でしょう。シカゴかゲールズバーグで、2,3日休まなければ旅行も何もないでしょうから。 時差ぼけをゆっくり治すには、ゲールズバーグのような小さな町はもってこいですよ。羽根先生にもお会いできるでしょう。 それから、ニューヨークかコロラドに行くのが良いでしょう。東の方に行くとしたら、ニューヨークとワシントンでしょうね。西の方に行くとしたら、コロラドを中心にグランドキャニオンなどの大自然の雄大さを満喫することになるでしょう。 両方とも行きたいでしょうが、これは無理です。体を壊してしまいます。どちらにせよ、案内は僕に任せてもらいます。せいぜい親孝行をさせて貰います。どちらに行きたいか教えてください。アメリカ国内の航空券などの手配は引き受けます。 先日イリノイ州の大統領予備選がありました。 日本では、どのように報道されているか知りませんが、カーターの人気は落ち気味ですが、対立候補者に強い人がいないのが現状です。アメリカの制度を知る上で、全くいいときにアメリカにいるもんだと思います。ついているなあと思います。 ついていると言えば、4月1日のバンクロフト基金50周年記念事業も楽しみです。アメリカに来てからの2年間のいろいろな苦労が次々に実っていくようで充実した楽しい毎日の連続です。 ではまた。

(101)1980年5月5日 アメリカ旅行(その2) 淳一郎

アメリカ旅行のことを書きます。アメリカの地図を見ながら読んでください。 この夏は、シカゴ領事館で働く予定でしたが、これは駄目なようです。ゲールズバーグでまた夏をすごすことになるかも知れません。そのこととは別に、成田からシカゴに直行するのが一番楽でしょう。ノースウエストオリエント航空の直行便が毎日成田から出ています。国際線のような長距離の旅は是非直行便にすることです。途中で止まるときは、飛行機から出なくてはならないので疲れます。 直行便は毎日シカゴに午後3時ごろに着くはずです。2,3日はシカゴの市内見物ということにしましょう。ホテルの予約は任せてください。レンタカーを借りて素晴らしいシカゴの夏を見物してください。 それから、車でゲールズバーグへ。ノックス大学を見学してください。羽根先生も再会を楽しみにしています。ここで二泊ぐらいしてから、飛行機でロスアンジェルス経由でラスベガスへ行きましょう。10日間の旅行では、とてもニューヨークやワシントンは無理です。その代わり、グランドキャニオンなどのアメリカの自然の雄大さを見るのも悪くないでしょう。 グランドキャニオン国立公園は、アリゾナ州にあります。車でラスベガスから3時間ぐらいのところです。レンタカーでゆっくり見物しながらロスまで行きます。ロスの郊外にはバンクロフトの先輩がいます。バンクロフト50周年記念のときに知り合いました。先輩に会えるとよいのですが。 ロスからハワイまでは飛行機です。四時間ぐらいかかります。ぼくもハワイまで付き合います。 そちらで用意するもの、東京、シカゴ間の航空券、ロスーホノルル間、ホノルルー東京間の航空券です。その他の航空券、ホテル、レンタカーなどはこちらで手配します。任せてください。叔父さん叔母さんも一緒に行動されるのですか。詳しいことがわかったら教えてください。航空券などの代金は送ってくださいね。 旅行は体が資本です。体力がものをいいます。夏ばてに気をつけてください。 6月の第一週までクラスがあります。クラス以外のことで忙しくて、前学期ほど頑張っていませんが、いろいろと新しい経験を積んでいます。今学期はコンピューターのクラス、国際法、経済統計学を取っています。 夏の旅行を楽しみにしています。ではまた。返事を待っています。

(102)1980年7月8日 アメリカ旅行(3) 淳一郎

暑くなりました。お変わりありませんか。 旅行の日程が大体決まりましたのでお知らせします。 8月14日(木)シカゴ着 シカゴ泊 15日(金)シカゴ市内見物 シカゴ泊 16日(土)シカゴ市内見物 シカゴ泊 17日(日)ゲールズバーグへ ゲールズバーグ泊 18日(月)ゲールズバーグー>シカゴー>デンバーー>ラスベガス ラスベガス泊 19日(火)グランドキャニオン見物 ラスベガス泊 20日(水)ラスベガスー>ロス ロス泊 21日(木)ロスー>ホノルル ホノルル泊 22日(金)ホノルル発 23日(土) 24日(日)成田着 ご覧のように飛行機ばかりの旅になると思います。何しろ時間がないものですからね。日本に帰る便は22日にホノルル発になると思います。僕は、その日の夜の便でシカゴに帰ってくる予定です。そちらの都合で日程を決めますので、出来るだけ早く知らせてください。 ゲールズバーグでは、学長は羽根先生に会えるように連絡しておきます。ロスでは先輩の宮崎氏にも会えるようにしたいと思っています。 今週末は日米合同貿易会議といって、全米各地から大使や総領事・大手の会社社長が大勢シカゴに集まってきます。その接待などの雑用を手伝っています。先日は、領事館内のゴルフ大会で優勝して、銀のカップを貰いました。お陰で次回大会の幹事にさせられました。 7月4日アメリカ独立記念日の週末は、会の後はしごの連続で、相当酔っ払いました。昨日7月7日は記録破りの暑さで39度にもなり、寝苦しい一夜でした。 話は変りますが、お父さん、お母さんは、クレジットカードを持っていますか。アメックス・ダイナーズなどのカードを持っていたら是非持ってきてください。アメリカで非常に便利です。レンタカーなどはクレジットカードがないと借りられません。もし、持っているのでしたらすぐに知らせてください。 僕の方はもしかすると8月の第一週あたり、東海岸のほうへ旅行するかも知れません。今回の旅行のことは一刻も早く決めておきたいのです。急ぎの用のときは、また電話します。そちらかも急ぎのときは電話してください。ではまた。

(103)1980年7月15日 アメリカ旅行(4) 淳一郎

領事館で働き始めてから1週間経ちました。仕事にも慣れました。 先日電話した時忘れたのですが、日本時間の8月24日に帰国するとすれば多分ホノルルを22日に出発しなければならないと思います。航空券を買うとき確かめてください。そちらで用意しなければならないことは次のことです。 パスポート(数次旅券) ビザ(アメリカ大使館) 航空券(東京―>シカゴ、ホノルルー>東京) 帰りは中華航空を使うと羽田着ですから少し便利です。正味9日間というのは、少々きついと思いますが、僕も西海岸への旅行は楽しみです。荷物は余り持ってこないこと、衣類といっても夏ですからそんなにいらないでしょう。こちらで買っても良いのですから。旅行小切手よりも、アメリカンエキスプレスがいいでしょう。昨年の夏、東京銀行の小切手で苦労しました。ホテル代、食事代、レンタカー代など、結構豪勢な旅行をして頂きたいので、お金は十分持ってきてください。では。

(104)1980年7月17日 五郎

アメリカ旅行万事よろしく。全て一任するよ。パスポート・ビザ・航空券など取得完了。あとは所持金のみ。 8月14日に成田からノースウエスト航空で出発。シカゴオヘア空港着は午後2時。日本時間8月24日帰国の予定。ホノルル発は22日。この切符の予約もOK。全て田中さんがやってくれたので間違いなし。金はアメックスカードと小切手をもっていくことにする。アメリカ国内の航空券・ホテルの予約などの代金は、どのくらい送ったら良いか、早めに連絡してほしい。これからは全て電話で連絡しあうことにしよう。 7月14日、国際文化会館で恒例の歓送迎会があったので出席。これで連続して4回出席したことになる。今回は田中さんと旅行の相談があるので、お母さんも出席した。今年の留学生は、中井千夏さんと岡田君の二人、中井さんはノックス大学だそうだ。卒業生は葛西さんと本間君の二人。例のように楽しい会だった。 由利枝が女児出産。7月7日の七夕にちなんで早苗と命名。おじいちゃんが、生存者受勲で「勲三等」受賞した。ともにお祝いの手紙を出しておくこと。 経堂の叔父さんたちはアメリカ旅行は中止になった。ドクターストップだ。 ではまた。旅行のことよろしく。楽しさと不安と半々だね。現在の私の心境。

(105)1980年7月18日 アメリカ旅行(5) 淳一郎

先日電話で話したように、東京―シカゴ間の往復航空券を買った方が安くつくようです。同封した2通のコピーがそのために必要な日程・フライトナンバーなどの資料です。ここに書いてあることが全て切符に書き込まれて、乗るたびに会社が切り取って最後になくなってしまうという次第です。田中さんによく説明してください。 航空会社を間違わないようにしてください。もし間違うと、僕の便と違って同じ飛行機に乗れなくなります。 こちらの情報によると、東京―シカゴ間の往復料金は、36万円弱と出ています。今回のように途中で何回も乗り降りすると、もしかすると、少し割高になるかも知れません。しかし40万円以内には納まるでしょう。 僕の航空券・3人のホテル代は全部支払いました。ですからもって来るお金は、食事代・タクシー代・お土産やその他の雑費ぐらいです。たいした額にはならないと思います。まあ念のために3000ドルもあれば十分ではないでしょうか。もっとも、ラスベガスで思い切り遊びたいというなら別ですが。 7月30日付けでアルバイトを辞めます。8月3日から11日まで東海岸へ旅行します。帰ってきたらまた電話をします。