(49)1978年2月27日  五郎

2月16日の手紙は、ユーモア小説でも読んでいるようで面白く楽しかった。習字が上手で良かったね。何と言ってもアメリカの学生を感動させたのだから その腕前は大したものだ。加山雄三の歌の漢詩(多分「お嫁においで」だろう)には私も吹き出しながら読みました。周りの人が何も分からないということはいいことか悲しいことか。クラスの選択は難しいね。「失敗は成功の一里塚」という。人のせいにしないことだね。しかし、FIJIへの入会は正当だった。会費のことは心配しないこと。 加藤さんから、次のような報告があった。 「足立君のサッカーでの活躍の記事を、ジャパンタイムズに依頼したが不首尾だった。その代わり、この記事をKJ法の会報に掲載するよう川喜田先生に依頼、OKしてもらった。原稿を川喜田事務所に送ってもらいたい」と。三村先生からすぐに連絡があったので、原稿を送っておいた。加藤さんと川喜田先生は、以前からの親しい間柄とのこと。時々会って食事などしているそうだ。昨日、川喜田先生から電話を頂いた。 「淳一郎君は立派な若者です。将来に希望が持てる青年です。楽しみですね」 と言われていい気分だった。 こちらも二月は寒かったが、昨日あたりから少しずつ春めいてきた。今年は流感が猛威を振るったが二人とも元気で頑張っているよ。昨日は、例の2.26事件があった日、雪降りの特異日だったが、快晴だった。「梅一輪一輪ずつの暖かさ」我が家の庭の梅も一輪ずつ咲いてきた。そちらでは本当に春が待ち遠しいだろうなあ。 青葉台にまた一店、坂を下ったところにスーパーが開店した。23-25日が、オープニングセールで大変な人出。母さんは「安い安い」と言って毎日買い込んでいる。家族はたったの二人だということを忘れているらしい。 ではまた。もうすぐ春だね。 *1川喜田二郎東工大教授。KJ法の発案者。 *2三村修氏。淳一郎中学校時代の恩師。

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